雨の日に




 夜のように真っ暗な学校は不気味だ。


 普段、夜に学校にいることはないから、見慣れた筈の校内が暗いってだけで異世界のようにも見える。
 土砂降りの雨が窓ガラスを叩く音を聴きながら、俺はSOS団のアジトに向かっていた。
 本当なら、こんな雨の日は部活などほったらかして家に帰りたいのだが、そんなことをすればハルヒという恐ろしいSOS団団長の罰ゲームを受けさせられることになるのは自明のことなので、俺は今日も今日とて部室に向かっている。
 でもまあ、朝比奈さんのお茶を飲みに行くのだと思えば、苦痛も少しは安らぐってもんだ。








 SOS団のアジトについた俺は、もはや習慣となったノックをする。
 このありがたいのかどうか微妙な心地になる習慣のおかげで、朝比奈さんが着替えてる最中に乱入することはなくなってしまった。
 たまになら乱入してもいいかな、などと実際にはするはずもない妄想を膨らませつつ、返答を待つ。
 しかし、いつまで立っても朝比奈さんの可愛らしい声は聞こえて来なかった。
 まだ来ていないのか?
 俺は恐る恐る部室のドアを開ける。
 空いた隙間から覗いた室内には、朝比奈さんはおろか、長門や古泉、ハルヒもいなかった。
 どうやら、俺が今日は一番乗りのようだ。
 SOS団に愛着は湧いてきたものの、積極的に団としての活動はする気がない俺にとって、部室に一番乗りというのはどうにもこうにもやり切れない気持ちで一杯になる。
 一番乗りじゃあ、SOS団の活動に乗り気みたいじゃないか。
「やれやれ」
 完全に封印解除されたセリフを呟きつつ、俺は部室に入る。
 適当な椅子を引っ張ってきて、深く腰掛けた。
 大きくため息を吐きながら、俺は窓の外を眺めた。
 相変わらずの土砂降りの雨が続いている。そろそろ止んでもいいのに。
 帰る時までには止んでいるといいな、と自分本位な考えを抱きつつ、部室の中に目を戻した。


 目の前に長門がいた。


「うおうっ!?」
 思わず仰け反りながら奇声を上げてしまったが、勘弁して欲しい。いきなり目の前に長門の無表情があったら誰だって驚く。
 長門は奇声を上げた俺のことを、いつもと変わらない無表情で眺めていた。
 俺は驚きで不整脈を奏でる心臓を押さえつつ、何とか声を絞り出す。
「よ、よう長門。いつ来たんだ?」
 長門の返答は早かった。
「あなたの二.五秒後」
 真後ろにいたのかよ。
 声をかけてくれればいいのに。
 俺の心中の思いはもちろん届かない。長門はいつも通りの定位置に座って鞄からハードカバーを取り出した。
 長門が本の頁をめくる音以外の音はしない。暫く沈黙が部屋を満たした。
 毎度のことだが、ほんと喋らないよな、こいつ。
「……長門」
 とりあえず呼びかけて見た。
「なに?」
 最小限の問い返しが返って来る。勿論、視線は本から一秒たりとも離れてない。
「えーと……ハルヒたち、遅いなー」
「…………」
 無言で返された。
 うっ、辛い。何が辛いって会話が成立しねえことだ。
「…………なあ、長門」
「なに?」
 やっぱり最小限。視線は本から(以下略)
「……あー、やっぱ何でもない」
「そう」
 そこも最小限か。
 長門相手の沈黙は慣れたはずなんだがな。どうも今日は外に土砂降りの雨が降っているからか、いつもの沈黙がそうではないように感じられてならない。
 だが、何を話しかけてもどうせ無言か一言で返されるんだろう。
「…………よく降るなあ」
「降水量は二百ミリを記録している」
 あっさりと答えてくれたけど、独り言に対する返答の方が長いってのはどうなんだ?
 俺はそう思いながら、窓の外に視線を固定して他の団員達を待つことにした。
 古泉が来たら、ボードゲームでもやって時間を潰そう。
 ……………………
 ………………
 …………








 来ない。
 あれから一時間。
 待てど暮らせど、古泉、朝比奈さん、ハルヒすらも来ない。
 さすがにおかしいと思い始めた。
 放課後にここに集まるのはすでにSOS団の習慣みたいなもんだから、忘れたってこともないだろう。
 何かトラブルでもあったんだろうか? しかし、古泉や朝比奈さんはともかく、ハルヒが来ない理由が分からない。
 こういう時は、SOS団が誇る万能選手に訊くのが一番だ。
 何か問題があるのなら、こいつが教えてくれる。
 そう思って俺は部屋の片隅で本を読み続けている長門に視線を向けた。
 一時間前と、全く同じ姿勢を維持し、本の頁だけが進んでいる長門に。
「なあ、長門。ハルヒ達が来ないけど、何か知ってるか?」
 数秒、考えるような間があった。
 おや?と俺は思う。そんな考えるような質問か?
「…………知っている」
 知っている?
「涼宮ハルヒは放課後廊下で会った時、帰る途中だった。今日はSOS団は臨時休業だと言っていた。すでに古泉一樹と朝比奈みくるには臨時休業だと伝えたと言っていた」
 おいおい。
 じゃあ今日はSOS団の活動はないってことか?
「そう」
 そう、じゃねえだろ。何で俺にそう言わなかった?
 少しばかり険悪な口調になってしまったのは、仕方ない。何せ、一時間もぼーっとして過ごしてしまう破目になったんだからな。
 長門は、淡々と続けた。
「見せたいものがある」
「見せたいもの? 何だ?」
 訊いたが長門は答えず、黙って指先を窓の外に向けた。
 俺が思わずそっちの方向を見ると、いつの間にやら土砂降りだった雨が弱まり、しとしと、と表現できるくらいの弱い霧雨になっていた。
 局地的な環境情報の変更は惑星の生態系に影響を及ぼす、と以前長門は言っていたから雨が弱まったのは偶然だろう。
 そして、俺は思わぬ光景を見ることになった。
 薄くなった雨雲の切れ目から日光が差し込んだ。
 その日光が光の梯子のように、天から地面を照らしている。


 その一角に、大きな虹が出現していた。


 雨の後の清々しい空気に広がる虹は、今までで見た虹の中で、一番綺麗だった。
 半ば呆然として空の虹を眺めていた俺に、平坦な声が響いた。
「あなたに見せたかった。この前読んだ本に、人はこういった自然現象を『美しい』と感じると書いてあった」
 なるほど。それでこの虹が出来ることをわかっていたお前は、これを俺に見せたいと思ったわけか。
 ならそう言えばいいのに。黙ってその時を待つのがこいつらしいといえばらしいが。
「ありがとよ、長門」
 鬱陶しいとばかり思っていた雨だけど、鬱陶しいだけじゃないんだな。
 お前に教えられるとは正直思って無かったけど。
 俺は窓に近づいて、清々しい気持ちで虹を眺めた。
 長門も足音を立てずに俺の横に来て、虹を眺めている。
 虹が映っている長門の瞳を見て、ふと疑問に思った。
「お前はどうなんだ?」
 長門の顔がモーターの動きでこちらを向いた。
 その首がかくんと傾いた。質問の意味がわからなかったのだろう。
「お前は、この虹を見て、どう思った?」
 長門は傾いた首を元に戻し、またモーターの動きで虹に視線を向ける。
 発した答えは甚だ短かったが、俺にはそれで十分だ。


「――綺麗」


 俺と長門は、暫く並んで虹を眺めていた。








――これは余談だが。


「ところでさ、長門」
「?」
「『この前読んだ本』って?」
「……題名?」
「そうそう」
「『ドキドキ恋愛シュミレーション3』」
「…………は?」
「純恋愛物。朝比奈みくるの友人の薦め」
「鶴屋さんか……っ(あの人、なんて本を長門に薦めるんだ……)」
「それによると、人は自然現象を『美しい』と思い、更に異性と隣りあわせでそれを見ると『ドキドキ』するとあった。しかしその『ドキドキ』という感覚は未感得。説明を求める」
「……ノーコメントっ!」










『雨の日に』終
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