代替騒動




 自慢じゃないが、俺はハルヒと知り合ってから色んな超常現象に巻き込まれてきた。
 耐性もついてきて、もうちょっとやそっとのことじゃ動揺しない。驚きはするけどな。
 しかし、今回のことはさすがに動揺せざるを得ない。
 何故ならば。
 簡潔明瞭に言おう。


―――俺の目の前に、『俺』がいる。








 その日の放課後、俺はSOS団の部室にのんびりと向かっていた。
 団長よりも部室に行くのが遅れたら大抵何か酷い罰ゲームが待っているので、普通は急ぐが、今日は急がないでいい理由があった。
 その理由とは。
 ハルヒは生活指導の先生に連行されていってしまっているのだ。
 今日こそは凉宮ハルヒの奇怪変質行動を正そうというんだろう。先生は相当気合が入っているようだった。あれでは最低でも三十分は開放されまい。
 ゆえにハルヒより遅く部室に着くということはまずない。
 人間、余裕があるということは良いことだ。


 部室に着いた俺は、ドアをノックして返答を待つ。
 普段なら朝比奈さんの可愛らしい声が聞えてくるのだろうが、今日は聞えてこなかった。まだ来てないのだろか?
 そう思いつつドアを開ける。中には長門以外の誰もおらず、長門はいつも通り部屋の隅で本を読んでいた。
 俺が部室に一歩踏み込むと、長門は軽く視線を俺に向け、またすぐに読書に戻った。挨拶の一つでもして欲しいと思わなくも無いが、急に挨拶をされたらそれはそれで驚くのでこれでいいとも思う。
「よう、長門。古泉や朝比奈さんはまだか?」
「まだ」
 ハルヒは前の理由でわかるが、他の奴らも遅いなんて珍しいな。古泉はともかく、朝比奈さんはいつも真っ先に来ているのに。
 ああ、長門は別格だ。というか、こいつはちゃんと授業に出てるんだろうな?
 そんなことを思ってしまうほど、長門は部室にいないということがない。
 学校の間中、ずっとここにいると言われても、俺は驚かないぞ。
 俺は鞄を机の上に置き、適当なパイプ椅子を持ってきて座った。


―――何の前触れも無く、俺の視界が白一色に塗り潰された。


「っ!?」
 俺は驚いたが、あまりにも急だったので、身体を動かすことも出来なかった。
 白一色の視界を、馬鹿みたいに眺めているだけだ。
 暫くして俺は、あまりに光が眩し過ぎるがゆえに視界が真っ白に染まる現象が、起こっていることがわかった。
 どういうことだ。こんなに強烈な光を発するもんなんて、この部室には置いてなかった筈だ。
 そう俺が思っていると、急に意識が遠くなった。
 眠くなったわけではない。けど、身体の感覚や見えていたはずの光も全てが消えて、俺の視界と精神はブラックアウトした。
 一体、何が起こった?








―――肩を揺さぶられて、目が覚めた。


 ぼんやりとした聴覚神経に低い男の声が聞える。古泉か。
「…………起きてください。大丈夫ですか?」
 大丈夫も何も、一体何が起こったんだ?
 まさか何かの攻撃ではないだろうな。
 俺はそう思いつつ、いつの間にか閉じてしまっていた瞼を抉じ開けた。
 開けた視界に、古泉の心配している顔が映る。
 身体の感覚から察するに、どうやら床に倒れてしまっているらしい。右頬に冷たい床の感覚がある。
「ああ、目が覚めましたか?」
 古泉がそう声をかけてくるが、とにかく起き上がらなければ。
 俺は腕を動かして身体を起こそうとし、
 やけに細い腕が視界に入った。
 あれ?
 おかしい。
 これは、明らかに俺の手じゃない。
「あ、まずは落ち着いて話を聴いていただけますか?」
 古泉が必要以上にのんびりとした声を上げる。
「どういう意味…………」
 俺は思わず口を押さえた。
 何だ。今の声は。
 やけに高い、というか、今俺が発した声は…………。
「あなたとわたしの精神が、それぞれの身体を操作している」
 突然、落ち着いた低い男の声が頭上から降って来た。
 俺が思わず見上げると、そこには見覚えのある、けれど直接見るのは絶対に無いはずの顔が。
「広域帯宇宙存在の再接触とわたしは見ている。この部室である行動をすると、その場にいた精神体の精神をその場にいた他の精神体の精神で代替してしまうという仕掛け。気付かなかったのはわたしの過失」
 そこでそいつは言葉を切り、
「うかつ」
 と呟いた。
 呆然としている俺に向かって、古泉が神妙な口調で宣告した。
「わかりやすく言えば、あなたと長門さんの身体が入れ替わっています」
 更に古泉は続けて、
「長門さんが気付かなかったのも仕方無いですよ。この部室内空間はすでに色々な要素や力場がせめぎ合っているのですから。これ以上異常な現象が起こる余地は無かったはずです。その盲点を突かれたのですね。確かにうかつでした。ですが、凉宮さんがいない内に発動したのは、行幸と言わざるを得ません。凉宮さん自身までその入れ替わりの対象に入ってしまっていたら、きっと取り返しの付かないことになっていたでしょう。その場合誤魔化しも効きませんし」
 と言う。古泉は実に楽しそうな笑みを浮かべてやがる。他人事だったら俺ももうちょっと楽しめたんだがな。
「さて、この場合。僕はどんな笑みを浮かべるのが適切なのでしょう。ちょっと困った微笑み? それとも失笑? 諦めの笑みかもしれませんね。どんな笑みを浮かべて欲しいかおっしゃってください。その笑みを浮かべてみせましょう」
 場を和ませるためのジョークのつもりかそれは。笑えねえよ。
 そうそう、朝比奈さんだが、何が起こっているのか理解出来ないようで、教室の隅で硬直してしまっていた。
 可哀相に。今回のことも未来から事前通達はなかったようだ。
「ああ、あなたは本当に毎度毎度面白いことに巻き込まれる体質のようですね、時間移動をしたり、宇宙人の超バトルに巻き込まれたり、閉鎖空間に入ったり…………最後のは僕が理由ですが…………全く代わって欲しいくらいですよ」
「いくらでも代わってやる。むしろ代わってくれ」
「無理でしょう」
 古泉。楽しんでるだろ、絶対。
「ああ、そんな不満げな顔で睨んでくる長門さんなんて始めて見ました。中身が違うのですから当然ですが新鮮な光景ですね」
 ほんとに楽しんでやがる。あとで覚えてろよ。
 こいつの相手をしていてはキリが無い。
 俺はこの部屋の中で唯一落ち着いてる長門(俺の姿)に声をかけた。
「長門。どうにかならないのか?」
 その俺の形をした長門は、
「プログラムを構成すれば、元に戻ることは可能。ただし、少し時間がかかる」
 と、無表情に落ち着いた声で答えてくれた。
 自分自身を客観的に見たのは当然ながらこれが初めてだが、中身が違うと外見もこんなにも違って見えるものなのかねえ。俺の身体とは思えん冷静さだ。
「どれくらい時間がかかるんだ?」
「一時間」
 あっさり答えてくれたが、そんなにかかるのか。
 その間、ずっとこのまま…………?
 俺は視線を下に落とす。北校のセーラー服を着た小柄な身体。
 勘弁してくれ。
「とにかく部室から出た方がいいでしょう。万が一涼宮さんが今来たら、色々と厄介なことに…………」
 そういう台詞は口にするな! 大抵物語の鉄則として、そういうことを口にした途端、
「遅れてごめーん! 生活指導の馬鹿がしつこくってさ!」
 ほら、来やがった!
 古泉の言うとおり、まずは部室から出ておけばよかった…………そう後悔してももう遅い。
 俺がそんなことを思っていると、ハルヒは部室の中を見渡して、
「……あれ? なんかおかしくない? それになんで皆立ってるの?」
 と呟いた。
 すげえハルヒ。何か起こったってことを勘で見破りやがった。
 俺がどう答えたらいいものかと考えていると、古泉が俺に耳打ちする。
「とりあえず、凉宮さんに入れ替わっていることがばれないようにしてください。こういったことが現実に起きる得ると凉宮さんが考えたら、間違いなく世界は変質しますよ」
 顔を近づけるな気色悪い。
 だが、こいつの言うとおり、ばれないようにしないとな。
 俺が俺の姿をした長門に目線で合図を送ると、長門はこくりと頷いた。
 おお、アイコンタクト成功。
「ねえ、キョン。何かあった?」
「何も無い」
 …………っておい!
 完全な無表情と無感動な声で答えるな!
 ハルヒは何気に勘が鋭いから気付かれるぞ!
 いつもの癖でツッコミを入れかけ、そんなことをしたらそれこそ間違いなくバレると思って慌てて口を閉じた。なるべく無表情でいるように勤める。しかし完全な無表情というのも難しいな。浮かべようと思って浮かべられるものじゃねえ。
 幸いハルヒは「ふーん」と呟いただけで俺の姿をした長門の言葉に違和感は覚えなかったようだ。
 …………前途多難だ。








 広域帯宇宙存在とやらのせいで俺と長門の身体が入れ替わって約三十分。
 部室の中は、微妙な緊張に包まれていた。
 俺はいつもと違う視点から、部室の中を見渡す。
 ハルヒはいつもと変わりなく、自分のパソコンでネットサーフィン中。まあこいつは今この部室で起こっていることを知らないから別にどうでもいい。
 朝比奈さんはいまだに事態が良く呑み込めていないのか、いつもの笑顔が若干引きつり気味だ。お茶を配る時もどこか緊張しているようだった。
 古泉は俺の姿をした長門と、チェスで勝負をしている。いつもと同じ行動をすることで、『ハルヒに入れ替わったことを気付かせないための演技』だと言いたいのだろうが、たまに、
「僕の勝ちですね。いや、あなたにこれほど勝ち続けることが出来るととは。今日は調子がいいみたいです」
などと呟いていて、絶対楽しんでやがる。長門はまずルールが微妙にわかってないみたいだから当たり前だろ。
 元に戻ったらこの分負かしてやるから覚悟しやがれ。
 長門は、入れ代わりなど元々無かったかのような落ち着きぶりだ。唯、俺はそこまで無表情ではないと言ってやりたい。長門の無表情が悪いとかじゃなくてだな、ハルヒに不審がられてしまうだろ?
 とはいえハルヒがネットサーフィンをしている間は大丈夫だ。そっちの方にハルヒの意識はいっているからな。
 そう思い、せめてハルヒがネットサーフィンをしている間くらいは平和だろうと思っていた矢先のことだ。
 こんな日に限って、来なくてもいい人がやってくる。
 ハルヒ並みの勢いで、部室のドアが勢い良く開かれた。
「やっほーっ! 元気してるかいっ?」
 鶴屋さんだ。
 この人は何でまたこんな日に限って…………。
「どうしたの? 何かまた面白いネタでも見つかった?」
 ハルヒが天真爛漫な笑顔を浮かべて鶴屋さんに向かって訊く。
 まさかまた変な宝の地図とか持ってきたんじゃないでしょうね、鶴屋さん。
 その心配は杞憂だったようで、鶴屋さんは笑って首を横に振った。その間にも、鶴屋さんはずんずん部室に入って、ハルヒの前まで行く。
「残念ながら今日は違うのさっ。ハルにゃんの期待するような面白い話じゃないにょろ」
「そうなの? 残念」
 ハルヒはそう言うが、これでもハルヒにしてはマシな応答だろう。鶴屋さん以外の一般人類なら、『面白い話じゃない』と言ったが最期、ハルヒは即刻その存在を無視するだろう。
 四月の時はそうだったし。まあ、今のハルヒの性格は四月の時より多少丸くなってるけどな。多少。
「ハルにゃんに提案なんだけどさっ。今度あたしのちょっとした知り合いが主催する子供会のイベントがあるんだよねー。ハルにゃんの地元のクリスマス会の時みたいに、場を盛り上げる役をやって欲しいんだけどっ」
 どこからそんな情報を仕入れたんだろう、と思ったがよく考えてみれば朝比奈さんの親友だったな、鶴屋さんは。
「どうかにゃ?」
「いいわよ。何だ、面白そうな話じゃない」
 あっさりハルヒは承諾し、これでまた俺達は準備に追われることになるんだろうなあ。と俺は長門の演技を続けつつ、思った。
(まあ『長門の演技』つっても、たまに本のページをめくり、出来る限り不動で、表情は無表情を保つってことだけなんだけど)
 鶴屋さんは大げさなまでに感謝と御礼の言葉を連発する。
「いやーありがとうハルにゃん! ちょっと芸する面子が足らないって泣きつかれちゃってさっ。感謝するにょろっ!」
 その鶴屋さんが俺の―――中身は長門だ―――方を向いて愉しげに言う。
「キョンくんにも、この前のクリスマスにやってたトナカイ芸みたいな芸を期待するよっ! 笑えたからねっ!」
 いや、あれはあなただけが受けてたんですよ。二度とごめんですね、あんなのは。
 そう思ったが長門の姿をしている以上そう答えるわけにもいかず、俺の姿をした長門がどう反応するつもりなのかハラハラものだった。
 長門は鶴屋さんの方を向いて、
「…………」
 暫く無言で視線を向けていたが、無言では怪しまれると思ったのか、唐突に口を開いた。
「…………善処する」
 おいっ! だからそう無表情で答えるなっ。しかも善処したくないんですけど!?
 まずい、鶴屋さんはハルヒよりも勘が鋭い人だ。気付かれたか? まさか入れ替わってるとは思わないよな?
 さすがの古泉も少し焦っているように思えた。朝比奈さんはもう状況がどうなるか見守るしかない、と言った様子である。
 鶴屋さんは俺(の身体をした長門)を暫く見詰めていたが不意に視線を逸らしたかと思うと、、今度は俺の方にやって来た。
「やっほー有希っち。元気してるかい?」
 ど、どういう対応をすればいいんだ? 頷きだけでも返した方がいいのか? いや、でも長門は何故か鶴屋さんに話しかけられてもいつも無視していた気もする。
 どうしようも出来ずに固まっていると、鶴屋さんはにやり、と笑って小声で囁いた。
「なんかいつもと雰囲気違うねっ、有希っちも。いつもより可愛い気がするにょろ?」
 入れ替わっていることは気付かれていない、はずだ。にまにまと笑っているのが気になるが…………しかし、いつもより可愛いとか言われたのは、結構ショックだ。俺としてはいつもの長門の方が可愛いと思う…………いや、そういう問題じゃ無くてだな、ああ、もう頭がこんがらがってきた。
 幸いそれ以上鶴屋さんが何かを言うことはなく、笑って部室から去っていった。
 難関一つクリア、か?




 事件とは起きて欲しくない時に限って立て続けに起こるモノだ。
 鶴屋さんが帰ってから数十分後、部室のドアが丁重にノックされた。
 まさか依頼者か? ハルヒもそう思ったらしく、満面に笑みを浮かべた。
「どうぞ!」
 ハルヒの応答を受け、部室が開かれる。
 そこにいたのは、コンピ研の部長。
「何だ、あんたか」
 ハルヒはあからさまにがっかりした様子で、一瞬で興味を失ったようだった。
 酷い対応のされ方だが、コンピ研部長の方はあまりそちらには気を払っていなかった。
 俺を視線で捉えると(正確に言えば長門の姿を)、大慌てで俺の傍にやって来た。
「長門さん、お願いします! 助けてください! 部室のコンピューターがウイルスにやられてしまったらしく…………データに損失が出ているんです! ウイルスを早く駆除しないとコンピューターが…………」
 つまり、それを俺にやれというのか。
 はっきり言おう。無理だ。
 いくら長門の外見をしているとはいえ、俺は俺であり、長門のスキルは持っていない。
 どうしたものかと思っていると、長門(俺の姿)が立ち上がった。そして周りの人間が見守る中、俺の傍に来る。
「来て…………くれ」
 間を空けて放たれた最後の『くれ』は、長門なりの俺の真似かもしれん。だが、逆に不自然すぎるぞ。
 そんな俺の心中の声は聞えるわけもなく、長門は俺の手を掴んで引っ張った。
 成すがままに引き摺られて行く俺。
 部室から出ようとしたところで、ハルヒが長門に声をかけた。
「ちょっとキョン?! どこ行くの?!」
「すぐ戻る」
 振り向きもせず長門は言って、部室の外に出た。
 呆気に取られているコンピ研の部長も、付いてくる。まあこいつは俺の、長門の姿に付いて来ただけだろうが。
 ところで長門。何をするつもりなんだ?
 コンピ研部室に入ると、コンピ研の部員達が、長門の姿をした俺に最敬礼を送ってきた。うわ、こいつら本当に最敬礼なんてするんだな。
 それから改めて、何故か付いてきている俺の姿に向かって不審の顔を向けた。
「長門さん、こいつは?」
 俺に訊かれても困る。それとこいつとか言ってるけど、中身は長門だぞ。
「状況は?」
 長門はコンピ研達の戸惑いなど無視してそう問いかけた。
 コンピ研部員は一瞬戸惑ったような顔をしたが、どちらにしても説明しなければならないと思ったのか、俺に向かって話し始めた。
「実は部員の一人がネット上から落としたファイルを無造作に開いてしまいまして…………それにウイルスが入っていたらしく、プログラムファイルなどがどんどんウイルスに破壊されている状態です。ウイルスの種類は不明なのですが…………このままだと、起動していたコンピュータが全て壊れてしまいます」
 どうやら、コンピ研のコンピュータは全て内線で繋がっているらしく、そこからウイルスが広がっている状態らしい。
 そんなウイルスを招き込んじまったとは不幸なことだな。ハルヒに取り付かれた俺よりかはマシだろうけど。
 などと俺が思っていると、長門が動いた。
「まだ無事なコンピュータは?」
「え、これだけど…………て、ちょっと何するんだ!?」
 長門は部員の静止を無視し、その無事なコンピュータの前に座った。
 そして、超人的キーパンチが始まる。




 コンピ研連中の最敬礼で見送られた俺と長門は、文芸部室に戻る前に、少し会話を交わした。
「すげえな、長門。自分の身体でもないのに…………」
「コンピュータの操作に関しては、特別な情報操作は行っていない。一般人類の能力でもあれくらいは可能」
 いや、あのキーパンチの速度は一般人類が真似できるスピードを遥かに超えてたぞ。
 でもまあ今回は助かった。
 でも明日から俺まであいつらに最敬礼されるようになるのか? 長門が居ないときに、俺に頼みごとをされたら、困るな。
 まあ、そのことは後で考えよう。
 下校時刻まであと数十分。この程度なら大丈夫だろうか。
「じゃあ長門。下校時刻まで何とかハルヒを騙し続けれるように頑張ろうな」
 こくり、と長門は頷きを返してくれたが、俺の姿でその仕草はぶっちゃけ気味が悪い。長門が長門の身体でやれば、そりゃもう可愛いんだけどな…………って何考えてんだ、俺。
 早く元の身体に戻りたいと思った。




 さすがの神様も、これ以上の試練を与えることはなく、何事も無いまま下校時刻となった。
 ハルヒは早々に帰ってしまい、後には俺と長門、それに古泉と朝比奈さんが残される。誰とも無く、溜め息を吐いた。
「やれやれ。何とか誤魔化し切れましたね。鶴屋さんの時は肝を冷やしましたが」
 俺も同感だ。
「よかったですう…………」
 一番緊張していたのは、朝比奈さんだったかもしれないな。
「…………」
 長門だけはいつもと変わらない冷静ぶりだ。少しは慌てたりしてくれよ。俺が間抜けみたいだ。
「じゃあ長門、その戻るためのプログラムって奴を起動させてくれないか?」
「ここでは止めておいた方がいい。わたしの家に来て」
 長門曰く、『プログラムの発動中に誰かが乱入、もしくは誰かに目撃されては不都合が生じる』とのことだった。長門が言うのなら、そうなのだろう。
「じゃあ行くか」




 古泉と朝比奈さんと別れた後、俺と長門は通学路を一緒に歩いて帰っていた。
 会話は無い。長門はどうだったのかわからないが、俺は見える視界の違いに感心していてそちらに気を取られていたのだ。
 今更だと思われるかもしれないが、長門の視点は俺よりも少し低い。ちょっと視点が違うだけで、見慣れたはずの通学路が違ったものに見えるのだから全く人間の脳とはいい加減というか何というか、だ。
 それを考えると、長門の方はもっと感動しているかもしれない。視点が高くなるというのは気持ちのいいことだからな。
 新鮮な気持ちで辺りを見渡しながらだったからか、あっと言う間に長門のマンションまで辿り着いた。
 マンションの入り口をくぐり、エレベーターに乗って長門の部屋へ。
 部屋の居間まで来ると長門は、
「再改変プログラムを起動する」
 そう言った。わざわざ確認することも無いだろうに。
「いつでもいいぞ」
 俺がそう答えると、長門は一つ頷き―――
「ちょ、ちょっと待った長門!?」
 慌てて長門の行動を静止した。
 生真面目にも固まってくれた長門は、
「なに?」
 と首を傾げる。長門、それも自分の身体でやってくれ。俺の姿でやられても気味悪いだけだ。
「何故顔を近づけるんだ!?」
 長門は顔を近づけて来たのだ。現在の距離は、数十センチ。
「あなたの額とわたしの額を密着させなければ、精神の変換が出来ない」
 何だ、そうだったのか。そういうことは事前にちゃんと言ってくれ。
 いきなり顔を近づけられたらびびる。
「今度からは気をつける」
 今回みたいなことはもう起きてほしくないけどな。
 改めて、少し屈んだ長門は、俺の額に自分の額をくっ付けた。
「目は閉じておいた方がいい」
 長門の指示に従って、俺は目を閉じる。
「プログラム、開始」
 暗い視界が一瞬揺れたような気がした。
 戻ったのか?
 俺はゆっくりと目を開ける。


―――目の前に、長門の顔。


「うおっ!?」
 額を密着させているから、まるでキスをする直前のように顔と顔が近づいていた。
 大慌ててで離れた後、俺は身体が元に戻っていることに気付いた。
「も、戻ったのか」
 唐突に長門の顔を至近距離で見て、跳ねる心臓を宥めながら呟くと、長門はミリ単位の頷きを返してきた。うむ、やはり長門の仕草は長門の身体であってこそのものだよな。
「問題なく改変プログラムは実行された」
 淡々とした長門の口調もやはり長門の声であってこそだ。
「今回はわたしの不手際のせいで迷惑をかけた」
 前髪が少し下がる。頭を下げているのだろう。
「気にするなって。まあ、色々あったけど、それなりに楽しかったし…………」
 二度したいとは思わないけどな。
「まあ、戻れたんだし…………だから、気にするなよ、長門」
 暫く間があって、長門は頷いた。
 それを確認した後、俺は帰ろうかな、と言いかけたがその前に長門が口を開いた。
「食べていく?」
 何を…………って決まってるか。
「晩ご飯」
 そうだな、ご馳走になろうか。
 俺がそう答えると、長門は心なしか嬉しそうだった、気がする。
「座って待ってて」
 長門は台所に行く。その間に家に電話をしておくかと思った俺は、ポケットから携帯を取り出した。
 電話をかけながら、ふと気になった。
 さっきの精神改変時の長門の行動だが、何か妙な気がする。『あなたの額とわたしの額を密着させなければ、精神の変換が出来ない』と長門は言った。
 でも、最初に精神が交代してしまった時は、額と額をくっつけてなどいない。長門のプログラム上はそうでなければならなかったのかもしれないが。
 もしくは、別に額と額をくっ付けなくても変換は出来るが、負担が少ないということなのかもしれないな。
 部室で入れ替わった時は気絶しちまったのに、今回はしなかったし。
 そう考えた方が自然だ。


 まさか、長門が『そうしたい』と思ったわけではない、だろう。


 …………多分。
 台所で長門が料理(と言ってもインスタントか何かだろうが)する音を聴きながら、俺はそう結論付けた。




―――こうして、この騒動は終わった。


 次の日、俺がコンピ研の人間に追いかけられたり、長門がいつも以上に鶴屋さんに構われたり、俺が一発芸を鶴屋さんの言うイベントで披露することになったりしたが。




 それはまた、別の騒動だ。








『代替騒動』終
小説ページに戻る