一瞬




 夏だ、祭りだ、花火だ!
 そう叫ぶ奴は例え涼宮ハルヒじゃなくても結構いると、思う。
 これくらいはしゃぐ奴なら、世界規模で見ればそう少なくも無いだろう。
 高校生にもなって祭りだ何だと叫ぶのはどうかと思うけどな。








「というわけで花火よ!」
 どういうわけなのか一から十まで説明して欲しい気もしたが、説明を求めたらそれはそれで面倒なことになりそうなので何も言わない。
「何を一人で呟いているのですか?」
 嫌味無き嫌味スマイル古泉が俺の顔を覗き込んでくる。
 黙れ、顔近いんだよ、気持ち悪い。
「これは失礼しました」
 俺の悪態にもまるで堪えた様子も無く、古泉はスマイル零円を続行。
 古泉にこれ以上視点を合わせて置くのに耐えられなくなったので、俺は目の保養とばかりに女三人組みの方に視線を向ける。
 俺達がいるところは、いつだったか花火をした河原で、あの時と同じく女三人は浴衣姿で下駄を履いていた。
 やはりそれぞれがそれぞれ、浴衣が似合っている。
 この場面だけを切り取れば、やはり一番似合っているのは朝比奈さんだが、この人はハルヒによって度々奇奇怪怪な服装に変わったりするので、どうしてもその分感動は薄まってしまう。
 つまりトータルで見て一番新鮮さと感動を与えるのは、長門だ。
 こいつはこういう特殊な状況でないとセーラー服から着替えないからな。長門がこういう格好をすること自体に希少価値があるというものだ。
 色々な服装の長門を見てみたいような気もするが、着替えているとその分着替えた時の感動が薄まってしまう訳でそれはそれで残念のようで……ややこしくなってきた。
 まあ、とにかく珍しい長門の浴衣姿を眺めることにするか。
 その長門は俺が注視していることに気付いているのかいないのか、いつもの無表情かつ無感動な目付きで、ハルヒが花火の袋を開けるのを眺めていた。
「じゃーんっ! 見なさい! SOS団花火大会の始まりに相応しい花火を買ってきたわよ!」
 ハルヒが得意げに袋から取り出した巨大な円柱型のそれには『大迫力! 百連発大花火!』、と側面にデカデカと書かれた連続花火だった。しかし安直なネーミングだな。
 この河原で打ち上げても大丈夫だろうか。かなり五月蝿い気がするのだが。
 俺は思わず周囲を見渡す。人気はあまりなく、住宅街からも少し離れた場所だ。
 まあ精々三十秒ほどのことだろうし、多分許してくれるだろう。
 俺はそう思って、あえて反対することはしなかった。
 夏の雰囲気に当てられて、俺自身が開放的になっていたっていうのもあるんだろう。
 ハルヒは嬉々としてそこそこ安定している足場を探し、そこにその花火を置いた。
「よーし火をつけるわよ。危ないから……二メートル以上離れてなさい」
 花火の表示を見ながらハルヒはそう言って、傍にいた朝比奈さんと長門を下がらせた。
 花火を中心に、ハルヒを除いた四人が半径二メートルの円を作る。
 ハルヒの背後に朝比奈さん、その九十度左に長門。俺がハルヒの真正面にいて、古泉は長門と正反対の位置にいた。
 ハルヒのマッチは時化っているのか、何度か擦ってようやく火が点いた。
「じゃあ行くわよー……それっ!」
 火を導火線に付け、ハルヒが飛びのく。
 と、その瞬間だった。


 河原のすぐ傍を通っている道路で、車のクラクションが鳴った。


 その大きな音に、思わず全員の視線と注意がそちらを向く。
 ハルヒと朝比奈さんの背後でそのクラクションは鳴ったため、ハルヒと朝比奈さんは振り向き、古泉と長門は視線を横向けた。
 俺だけが少しだけ視線を上げるだけでそちらを向くことが出来た。
 だから、気付いたのは俺だけだった。




 花火が、僅かな風に煽られて横向けに倒れたことに。




 割と安定した場所を探してハルヒは置いたのだろうが、野晒しだった地面は僅かな起伏を持っていた。
 そのために、花火が少しだけだが傾いていたのだ。
 そこに悪い方向に風が吹いたことで倒れてしまった。
 それも長門がいる方向に筒の先端を向けて。
「危ねえっ!」
 何を考える暇も無かった。
 俺は咄嗟に長門に駆け寄って、その手を引き寄せた。
 下駄を履いていたために姿勢制御が普段より五割増し悪くなっていた長門は、足を縺れさせて俺の胸に倒れ込んでくる。
 俺は長門を抱きしめ、花火から背を向けた。
 それと同時に、背後で破裂音が響く。
「あちちっ!?」
 最初の何発かは地面に当たって逸れたようだが、運の悪いことに何発目からか花火が連続で俺の背中に当たった。
 この調子で百発待ち堪えなきゃいけないのかよ?!
 俺はそう思ったが、事態に気付いた古泉が倒れた花火を引き起こしてくれたことで、残りの何十発かは空中に四散していった。
 ふう、と俺は安堵の吐息を吐く。
「大丈夫か? 長門」
 男として、背中が痛いのには構わず、とにかく長門の無事を確認する。
 長門は、暫く口を開かなかったが、やがて、
「大丈夫」
 と短く呟いた。
 そうか、と俺は返してもう一度安堵する。




 と、そこで俺は長門を抱きしめていることに気が付いた。




「うわっ!? す、すまんっ!?」
 慌てて俺は長門を開放した。
 それに対しても長門は、
「大丈夫」
 と呟いただけだった。
 ……いや、何が大丈夫なんだ。
 俺がそう思っていると、
「ちょっと有希、キョン大丈夫!?」
 珍しく慌ててハルヒが俺達に駆け寄ってきた。
 朝比奈さんも顔色を青くしているし、古泉も心配そうな顔を俺に向けている。
 俺は背中が痛くないことに気付き、大した火傷はしていないだろうと思った。
「平気だ。別に痛くないぞ」
「で、でもあんたのシャツ、凄いことになってるわよ?」
「え?」
 ハルヒのその言葉に、俺は首を無理矢理捻じ曲げて背中を見る。
「……うわお」
 見事なまでにシャツが焦げていた。確かに酷い火傷をしていてもおかしくない焦げ方だ。
 良く無事で済んだな。と、一瞬思ったのだが。
 待てよ?
 ふと思った。
 ひょっとして、長門が治してくれたのか?
 俺に抱きしめられながらも、情報制御とやらで火傷を治してくれたのかもしれない。
 だが、ハルヒにそれを言うわけにもいかない。
「運が良かったんだな」
 俺はそう言っておいた。さりげなく長門に視線を向け、感謝の念を送っておくことは忘れない。
 僅かに長門が頷いたことから考えても、やはり火傷を長門が治してくれたようだ。
 毎度毎度ありがとよ、長門。








 ハプニングがあった後、ハルヒはSOS団花火大会を取りやめにしようかと考えたようだが、それは俺が止めた。
 これからは気をつければいいのだし、折角の花火をこれで終えてしまうのは勿体無い。
 案の定、俺がそう提案すると、池に餌を投げ込まれた鯉の如くハルヒは飛びついた。
 結局、SOS団花火大会は無事に続けられて、無事に終わった。
 俺達は花火の片づけをしてから、それぞれの帰路に着く。
 心地よい疲れによる溜息をついて、家の帰り道を歩いていた。
 と、不意に袖が引っ張られた。声もかけずに袖を引く奴なんて、一人しか心当たりはない。
 立ち止まって袖を引っ張っている主に視線を向けると、やはり予想通りそこには無表情の長門が立っていた。
「ん? どうした長門」
 俺はそう問いかける。長門は俺の顔を数秒じっと見詰めて、口を開いた。
「最初の花火の時」
「俺がお前を花火から庇った奴か?」
「そう。そのお礼がしたい」
 殊勝な顔つきでそんなことを言うので、俺は肩を竦めた。
「別にお礼なんていいよ。いつも助けられているのは俺だし。今回だって怪我を治してくれたんだろ?」
「それとこれとは別。庇ってくれたことには変わりが無い」
 長門は淡々と無表情で言う。
 そこまで言われたら、断る方が失礼だろう。
「わかったよ。でも、本当に気にしなくていいぞ?」
「お礼はすぐ済む。耳を貸して」
 ありがとうとでも言う気か? そのまま言えばいいだろうに。
 俺はそう思いつつも言われた通りに、内緒話をする時のように上半身を傾けて、耳を長門に向ける。
 長門の顔が近づいてくる気配がする。
 さあ、何を言う気だ。俺が構えたその瞬間。




 柔らかい『何か』が俺の頬に触れた。




 へ?
 一瞬後、何をされたのか気付いた俺は、弾かれたように上体を起こした。
 その時には、すでに長門は背を向けてしまっている。
「な、ながとさん?」
「また、明日」
 茫然とした俺の呼びかけには応えず、小さく呟いたのを最後に長門は背を向けたまま歩き去ってしまった。
 え…………今のって…………?
 俺は暫く呆然とそこに立ち尽くしていた。








 一瞬の感触はとても柔らかく、とても暖かかった。








『一瞬』終
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