苺味




 唯でさえ不快指数がクソ高い夏だというのに、わざわざ更に熱気の篭る人ごみの中に進んで入って行く奴は居ない。例外を除いて、な。
 その例外とは某団の某団長のことではなく、極々一般的にそこら中に居る。
 答えは簡単だ。
 スポーツ観戦にいく者、海水浴にいく者、そして――祭りにいく者だ。








 今年もこの季節がやって来た。
 我らがSOS団の団長、凉宮ハルヒの号令で俺たちは夏祭りに来ている。
 暑い夏に人ごみに入るのは普段ならば絶対にごめんだが、こういう祭りならば許せる気がしてしまうのは何故だろうな? 心無しか、暑さも和らいでいる気がするぜ。
 まあ、暑さが和らいでいるのはSOS団の女性陣が涼しげな浴衣を着込んでいるからってのもあると思う。視覚効果という奴だ。
 ハルヒは爆発模様の派手な浴衣。朝比奈さんはグラデーションの効いた桃色の可憐な浴衣。長門は…………以前とは種類が違うが、幾何学模様の、実にこいつらしい模様の浴衣だ。
 ちなみに、俺と古泉の男性陣はいつもと変わらない私服姿だ。男の浴衣なんて、余程の色男か、枯れたご老人くらいしか似合わないからな。今回もパスだ。
 古泉は似合うかもしれないが……俺は絶対に似合わないからな。たぶんそれで合わせてくれているんだろう。
 それを認めるのはなんだか癪だったから何も言わないでおいたが。
「さあ! 祭りを楽しむわよ! この夏は一度しか来ないんだからね! 思う存分、思い残すことが無いように楽しむわよ!」
 ハルヒが声高らかに宣言する。雰囲気的に、こう奇声を上げる奴がいても誰も気に止めない辺りがありがたい。この点にも、祭りに感謝だ。
 食べ物屋に朝比奈さんを連れて直行するハルヒを眺めながら、俺はしみじみとそう思う。祭りという特殊空間はハルヒの奇行にも寛大だ。全く涙が出るね。
「泣きたいのなら、僕の胸を貸しますが」
 黙れ。
 さっさと行け。それと独り言に言葉を返すな気色悪い。
「おやおや」
 両手を軽く挙げるジェスチャーをした後、スマイル零円男はハルヒ達の後を追っていった。…………あれ?
 長門はどこ行った?
 そう思いつつ、俺は長門が何処に行ったのか見当が付いていた。
 予測に基づいて視線を向けると、俺の予想通り、お面屋の前でじっと佇んでいる長門の後姿が見える。
 その背後に忍び寄ると(長門には無意味だろうが)、長門が一枚のお面をじっと見つめていることに気付いた。どうやらまたオーソドックスな宇宙人のお面を買おうかどうか迷っているようだ。
 だが、去年と同じ物を買っては芸が無いだろう。
 そう思った俺は、長門の背後から手を伸ばし、可愛く舌を出しているデフォルトされた犬のお面を取って、長門の頭に横掛けで被せてみた。
「…………」
 ゆっくりと長門の視線が俺の方を向く。
 透き通るような黒曜石の光を放つ瞳が俺をじっと見詰めていた。
「宇宙人のお面は前買ってただろ? だから、今回は違うのにしたらどうだ?」
 俺がそう提案すると、
「…………そう」
 と長門は呟いて、俺が頭に掛けた犬のお面をお面屋の主人に差し出そうとする。
「おいおい、長門」
 俺は慌てて呼び止める。
 長門の視線が再び俺の方を向いた。
「それは、試しに被せただけで、それ以外を選んでもいいんだぜ? お前の好きな奴にしろよ」
「これがいい」
 さらりと言われて俺は二の句が告げなくなる。
 俺が硬直している間に、長門はお面の代金を支払ってしまった。
 ……犬のお面も気になっていたんだろうか?
 俺がそんな風に考えていると、
「キョンーっ! 有希ーっ! 早くこっち来なさいよっ!」
 ハルヒがたこ焼きやらお好み焼きやらを抱えてこちらを手招きしていた。後ろの朝比奈さんや古泉もたっぷり色々なものを抱えていた。
 俺は呆れて溜息を吐き、どの角度がいいかと横掛けのお面をいじっている長門に声をかけた。
「行くか?」
 頷く長門。
 俺と長門は並んで団長の元に向かった。








「まだまだ楽しむわよっ! 祭りはまだまだ続いているんだからね!」
 いや、そろそろどこかで休憩しようぜ。
 かれこれ一時間近く会場を回りっぱなしじゃねえか。
 いまだ元気全開のハルヒはともかく、朝比奈さんがそろそろへばってくる頃だ。初めの頃より僅かに足が遅くなってるし。楽しそうではあるんだけどな。
 古泉と長門? 古泉に関しては純粋に心配する気がない。長門は俺より体力気力を含めたあらゆる能力が上なので、俺が心配出来ることはない。
 俺の提案を聞いたハルヒは、団員達一人一人の表情を確認した。そして、
「それもそうね。少し充電期間が必要かもね」
 お前は充電する必要は無いがな。
「じゃあ、あそこに行きましょう! 座れるだろうし、休憩には丁度言い食べ物があるわ!」
 お前はそればっかりだな。金魚すくいとか射的とかしろよ。
「してるわよ。全部一通り」
 いつの間に。
 俺があまりの行動の速さに呆れていると、ハルヒは両手を振り上げて言った。
「つべこべ言ってないで行くわよ! 休憩所に!」
 休憩所、という名称ではないがな、あそこは。
 俺が視線を向けた先では、『頭痛に注意!カキ氷!』という暖簾が垂れ下がっている屋台があった。隣には休憩所があり、椅子や机が多数置いてある。休憩するときはカキ氷屋でカキ氷を買い、食べながら休憩所で休息を取るのだ。
 しかし、聴けばあそこのカキ氷は何故か頭痛を引き起こすことで有名だという。
 何かやばいものでも入ってるんじゃないだろうな。薬とか。
「通常のカキ氷に含まれる成分以外の物は含まれていない」
 さすがは長門。俺の疑念を一気に払拭してくれた。
 本当、頼りになるぜ。
「おじさーん、カキ氷五つね!」
 ハルヒは俺の疑念など構わず、カキ氷を人数分注文していた。ちなみに、ここでは氷をかいて貰った後、シロップは自分で適量かける、という方式である。
「あいよっ!」
 愛想の良い屋台のおじさんが、すぐさまカキ氷を作り出す。
―――シャリシャリと氷をかく音が響く。
 冷たくて美味そうだ。
―――シャリシャリと氷をかく音が響く。
 さて、シロップは何をかけようか……。
―――シャリシャリと氷をかく音が響く。
 頭痛が起こらないようにゆっくり食べよう。
―――シャリシャリと氷をかく音が響く。
 …………。
―――シャリシャリと氷をかく音が響く。
 …………おい?
―――シャリシャリと氷をかく音が響く。
 ちょっと待て。多すぎるだろ、さすがに。
―――シャリシャリと氷をかく音が響く。
 まだ続くのか!?
「はいよ! お待ちっ!」
 出て来たカキ氷は、丼の器に山盛りだった。
 …………頭痛も起こるよな、これじゃあ。色んな意味で。
 ハルヒはこの量を前にしても臆せず色んなシロップを重ねがけし、朝比奈さんはあまりの量に硬直していて、古泉の微笑みも少し引きつっている。
 長門は、というと…………早速唯の氷の塊を切り崩し始めていた。
「待て待て長門。シロップをかけないとただの氷の山だろ」
 しかし長門は手を休めることはなく、淡々と呟いた。
「冷たい」
 それはそうだろうさ。熱かったら詐欺だ。
 長門の分に適当なシロップ――イチゴ味――をかけてやり、自分の分にも同じ物をかける。
 それから俺たちは休憩所に移動した。
 そして氷山を切り崩す南極だか北極だかの探検隊の気分を体験する破目になった。切り崩しても切り崩しても終りが来ないってのはある意味本当に未開の地の調査隊のようだ。
 俺は頭痛が起こらないように比較的ゆっくりと食べていたが、
「あううう〜いたいです〜」
 ハルヒに急かされて慌てて食べてしまった朝比奈さんは頭を押さえて悶えていた。これが違うシチュエーションだったらやばすぎるが、この場合呑気に観察している場合ではない。
「暖かいお茶を入れましょうか? そんなに急いで食べたらダメですよ、朝比奈さん」
 予め休憩所に用意されていたお茶を入れて差し上げる。
 つーか、祭りの責任者も予測しているくらいだったらまず頭痛を起こさないように努力しろよ。
 俺は朝比奈さんの介抱にかかり切りになっていたが、ハルヒは構わずざくざく氷の山を切り崩し続けていた。お前のせいで朝比奈さんは頭痛を起こしたんだぞ。責任取れよ。
 …………もちろん、口には出さなかったがな。どんな反撃が待ってるかわかったもんじゃない。藪を突かなければ蛇は出てこないんだ。
 まだ頭を押さえている朝比奈さんの介抱をしながら、ふと顔を上げると、長門が無表情で朝比奈さんをじっと見詰めていた。
 おお、お前は心配してくれているのか。
 俺はある種の感動を覚えたが、不意に長門は氷の山に再び取り掛かった。
 …………速い。まるでハルヒ並の勢いで氷の山を切り崩していく。
 長門。ハルヒと張り合わなくてもいいだろうが。
「…………」
 長門は無言のまま、氷の山をざくざく切り崩していく。
 何か、不機嫌な気がするが…………気のせいか? 俺、何か悪いこと言ったか?
 先程までの言葉を思い返してみたが、さっぱり見当がつかなかった。
 まあいいか。
 ふと、俺は長門を見てあることに気づく。
「長門。これ」
 俺が濡れたお絞りを差し出すと、長門は動きを止めて首をかしげた。
 意図がわからない時の顔だ。俺は丁寧に説明する。
「いや、イチゴ味は色が濃いからさ唇に色が映るんだよ。……この量だしな」
 実際、長門の唇はかなり赤く染まっていた。口紅を塗っているようだ。いつもと印象が違う。大人っぽく見えて思わずどきっとした。
 長門みたいに女子ならまだいいが、俺がそんな色になっていると気色悪い。だからお絞りを用意しておいたのだ。
「理解した」
 頷いた長門は俺の手からお絞りを受け取り、唇を拭き始めた。
 あれ? ちょっと待てよ?
 それ……さっき俺が使用した奴か?
 間接キス紛いなことになっちまうじゃねえか!
「な、長門! すまん、それさっき俺が使った奴だった! こっちに新しいのが……」
「別に構わない」
 いや、そう言われても……しかしもう手遅れである。
「すまん……。あ、そうだ。長門、温かいお茶はいるか?」
 気恥ずかしさをごまかすためにそう言うと、長門はこくり、と頷いた。
「……いる」
 なぜか嬉しそうに見えた。気のせいか?
 備え付けで誰でも自由に飲めるようになっているお茶だから、あんまり美味しくないと思うんだが……。
 長門は俺から湯呑を受け取ると、ちょっとずつ、大切そうに飲んでいた。
 そんなに大切そうに飲まなくてもいいのに……。
 ようやく飲み終わったらしい長門は、湯呑を返すために立ち上がった。
 休憩所に備え付けてあるお茶を入れるスペースに行った長門が戻ってくると、その手には湯呑が握られていた。
 あれ、一杯じゃ足りなかったか?
「違う。……これは、あなたに」
「え?」
「あなたは飲んでいない」
 そういやそうだったな。持ってきた二つは朝比奈さんと長門に渡してしまっていた。
 それを見ていた長門はわざわざ俺の分を持ってきてくれたらしい。
 折角持ってきてくれたのを断るなんて逆に悪いだろう。
「サンキュー、長門。ありがたく頂くよ」
 長門から湯呑を受け取った俺は、味わっていただくことにした。
 そう考えてから、俺は気づく。
 …………ああ、そうか。
 長門が飲んでいた時は「そんなに大切そうに飲まなくてもいい」と思ったが、こうして立場が逆転してみれば、一気に飲んでしまうのは相手に申し訳がない。
 我ながら浅はかな考えだった。
 少し反省しつつ、たっぷり時間をかけてお茶を全部飲む。
 気づけば長門がこちらをじっと見ていた。
「美味かったよ、長門」
 そう言うと長門は軽く頷き、手を差し出してきた。
 湯呑を返してきてくれるらしい。
 さすがに悪いかと思ったが、せっかくの気遣いを無にするのはもっと悪い気がしたので、湯呑を長門に渡す。
 長門は湯呑を手にお茶のスペースに向かった。そして戻ってくる。
 まだその手には湯呑が握られていた。
「……呑んで」
 なんか既視感が……ああ、そうだ。長門に初めて部屋に呼ばれた時のあれか。
 あの時も長門は次から次へとお茶を出してくれたものだった。
「長門……もうこれで終わりでいいぞ」
 依然と同じ轍を踏まないようにそう言っておいた。
「……そう」
 残念そうに見えるのは気のせいだよな? かといって言われるままお茶を飲み続けるわけにもいかないし……。
 せめて最後のお茶は特に味わっていただくことにした。
 長門にお茶を入れてもらえるなんてそうそうないことだからな。
 例えそれがただ用意されたお茶を湯呑に入れただけのものだったとしても。
 このお茶は大切に飲む価値がある。
「ふう」
 ようやく飲み終わった俺は少し残念な気持ちになった。
 もっとゆっくり飲めばよかったかな。
「美味しかった?」
 長門はそんなことを訊いてくる。おいおい、決まり切ったことを聴くなよ。
「ああ」
「そう」
 その時、自分の分のかき氷をとっくに食べ終わっていたハルヒが、朝比奈さんが食べきれなかった分も食べ終わったらしい。
「キョンっ! 有希っ! そろそろ行くわよっ!」
 お前はほんとに元気だなあ……ほとんど二人分をこの速度で食べたのに頭が痛くならなかったのか?
「頭を痛くしている暇なんてないわ! まだまだ祭りは続いているんだからね!」
 本当に楽しそうだな。
 ようやく回復した朝比奈さんを引きずるようにして次の屋台に突撃していった。
 古泉はにこにこしながらハルヒについていく。
 俺も長門を促して立ち上がった。
「じゃあ行くか、長門」
 頷く長門。


 長門と並んで、俺は祭りの喧騒の中に溶け込んでいった。








『苺味』終
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