長門有希が谷口的美的ランクAマイナーなのは良く知っていた。
確かに長門は整った顔立ちをしているし、『隠れファンが多い』という谷口の言も十二分に信用できる。
しかし、あの無表情、および無感動、無反応な性格上、SOS団以外の人間が話しかけても全くの無意味であるために今回のような事態になろうとは俺は全くこれっぽちも予測していなかったのである。
長門有希が、恋文を貰った。
「何なに何ッ?! 有希、ラブレター貰ったの?!」
何故か物凄く嬉しそうなハルヒの言葉が今の状況を実に良く表している。
しかし凄いテンションだな。以前俺の中学時代の同級生である中河が長門に対してアタックしていた時はこんなにも食い付いてなかったように思うのだが…………。
ああ、ちなみに朝比奈さんと古泉はどこか傍観の姿勢だった。この様子だと、今回は超常現象やらなにやらは関係ないようだ。
でもまあ、一応朝比奈さんと古泉に訊いておくか。
「どちらかの組織が仕掛けたお芝居じゃないでしょうね」
「ま、まさか。ちがいますぅ」
大慌てて否定する朝比奈さん。
まあ、この人には訊いても仕方無い。訊くなら大人版の方だ。
「機関はこの件に無関係ですよ。それと、朝比奈さんの組織も無関係でしょうね。折角三勢力の均衡が取れているのに、わざわざ刺激してその均衡を崩すことはしないでしょうから」
それもそうか。
ハルヒの様子から、ハルヒが仕組んだ狂言でないこともわかる。
…………ひょっとして、今回も俺の友達の中河のように特殊な、えーと超感覚能力、だったか? それを持っているとかじゃないか?
ハルヒが長門から離れて何やら楽しげにぶつぶつ言い出したので、すかさずそれを長門に確認した。
「それはない」
俺の予想をあっさりと長門は否定する。
「手紙は手渡しで受け取ったが、彼の精神は異常を起こしていなかった。超感覚能力に類する特殊能力も所持していない」
じゃ、じゃあその時お前は何て答えたんだ?
「手紙を読んでから返事をするように言われた。わたしは受け取っただけ」
しかしいつも通り淡々としているな。中河の時もそうだったが、ひょっとして交際の意味がわかってないんじゃないのか?
俺がそんな風に思っていると、そんな思いが顔に出てしまっていたのか、長門が口を開いてこう言った。
「人と人の交わりの一つの形であり、交際という場合、男女の付き合いのことをさすことが多い。このケースの場合、特別な間柄になることを承認するかどうか、相手はわたしに手紙という情報媒介を通して尋ねてきていると思われる。この場合の特別な間柄とは『恋人』と呼ばれるものである。…………『恋人』とは、いずれは婚約を交わす仲に発展する可能性を秘めている関係」
辞書に乗っているのをそのまま流用してきたような文章であるが、決して外れてないし、ちゃんと交際の概念的な部分も理解している、とでも言いたげな言葉だった。最後の恋人に対する補足を入れたのは、ちゃんと恋人の概念もわかっている、と念を押したんだろう。
すまん、馬鹿にしたつもりはなかったんだが…………。
思わずそう謝りたくなる。
そうだよな。長門だってそれくらいはわかってるよな。
「そ、それで、長門よ。お前、何て答えるつもりなんだ?」
俺はそう訊いていた。訳のわからない衝動に突き動かされて。
長門が言葉を発するまでの時間が、やけに長く感じられる。
「わたしは―――」
長門が口を開いた。
まさにその時、
「ちょと待ちなさいッ!」
邪魔が入った。
「そんなこと訊いてどうするつもりよキョン。そんなの有希の自由でしょ」
「そうは言うがな。お前は気にならないのか?」
気にならないとは言わせないぞ。
「気になるわよ。それは」
臆せずあっさりと認めやがった。
「じゃあ、お前だって訊きたいんじゃないのか?」
「この前、馬鹿なあんたの馬鹿な友達が有希に馬鹿なラブレターを送ってきたことがあったでしょ?」
確かにあったな。それがどうした。つかお前、馬鹿を強調しすぎだ。
「その時、わたしは少しでしゃばり過ぎたかな、と反省したわけよ」
何でお前は反省しなくても別に構わないようなところで反省するんだ。
もっと振り返るべきところは沢山あるだろうが。
「だから、今回は全部終わった後で報告してもらうことにするわ。受けるのか受けないのかどうかは、全部終わった後で、有希から言うまで訊いちゃダメ。有希もいいわね? キョンに訊かれたからって答えちゃダメよ」
くそ、念を押しやがった。
こうなると長門は例え俺が訊いても教えてはくれまい。
「で、いつ返事はするの?まだ手紙の中身も読んでないんでしょ?」
ハルヒがそう訊くと、長門は、
「明日の放課後に返事をしてくれと言われている。手紙は家に帰宅した後、読むことにする」
つーことは明日の放課後までこの状態でいることになるのか。
凄く、気になる。
家に帰ってからも、長門がどう返事をするのか気になって仕方なかった。
とはいえ、見当はついているんだ。
長門はほぼ確実に断るはずだ。
あいつがSOS団以外の奴と関わり合いを持たないのは周知の事実だし、ましてや恋人の関係になどなるわけがない。
どういう内容の手紙なのかはわからないが、仮に長所とかが書いてあったとしても、そこに惹かれたりはしないだろう。大体長門が誰かと手を繋いだり、街中を歩いたりする場面なんて想像も出来ない。というかしたくもない。
長門の返事なんてわかりきっていることだし、わかりきっていることをいつまでも気にしていてもしかたないじゃないか馬鹿馬鹿しい。
俺はさっさと風呂に入って、さっさと寝ることにした。
どうせ明日になったらすぐわかることさ。
気にしていても仕方ない。寝ちまえばすぐに明日だ。
俺は布団を頭から引っ被って目を閉じた。
……だけど、もしも。
俺は布団の中で目を見開いた。
もし、長門が交際を受けちまったらどうする?
万が一、いや億に一つにも無いとは思うが、もしも、何らかの理由であいつが交際を受けたら?
俺は、どうする?
…………いや、どうしようもないってことはわかってる。誰と付き合うのかなんてことは、長門が自分で決めることだ。
むしろそういうことにも長門が興味を持つようにになって喜ぶべきなんじゃないか? あいつがどんどん人間らしくなっていっている確固たる証明みたいなもんじゃないか。
喜びこそしても、気落ちするべきことでは…………。
いや待て待て待て。
そもそも、何で俺が気落ちしなければならないんだ。
あいつは別に俺の彼女でもなんでもない。別に気になっているわけでも…………いや、確かに気になってはいるが、それはあいつが宇宙人に創られたヒューマノイドインターフェースだからで、感情を徐々に開花させていく、というような少し特殊な面で気になっているのであり、別に恋愛対象として見ているわけでは、ない、と思う。
…………だよな?
―――結局、その夜は色々と考えてしまい、一睡も出来なかった。
昨晩一睡も出来なかった俺は、半死人の状態で坂道をおっちらえっちら登っていた。
さすがにこれはキツイぜ。
くそう。ハルヒの奴があんな気まぐれを起こすからだ。ハルヒがあんなことさえ言わなければ、あそこで長門がどうするのかはっきりしていたのに。
いや、長門は断る。
絶対。
半ば自分を納得させながら、ようやく教室に辿り着くと、俺の席の後ろにいる奴が朝っぱらから机に突っ伏していた。
どうした。
「有希のことが気になってね…………一睡も出来なかったわよ」
お前もか。
あの時、あんな気まぐれを起こさなければ良かったのにな。
「うるさいうるさいうるさい。殴るわよ」
シャーペンの先で突っつきながら言う台詞じゃねーだろ。
「…………あーやっぱ気になるわね。訊きにいこっか?」
止めとけ。あいつは一度お前に『訊かれても答えちゃダメ』って言っちまってるんだ。あいつが一度下された命令を中々覆さないのは夏の合宿で良くわかってるだろ?
「わかってるわよ。ま、放課後になったらわかることだし」
そう言って、ハルヒはまた机に突っ伏してしまった。
こういう時に限って、時間はのろのろと進む。
俺はもう夜中くらいの時間感覚だったのだが、実際には昼。放課後までにはまだまだ時間がある。
「そういや、知ってるか? キョンよ」
一緒に昼飯を食べていたら、谷口が口を開いた。
口に物を入れたまま喋るんじゃねえよ。
「長門有希がラブレター貰ったんだってさ。長門有希のクラスじゃその話題で持ちきりだぜ」
一つ訊こう谷口。お前は一体どこからそんな情報を仕入れてきてるんだ。
「うるせーな。情報源なんていまはどうでもいいだろ。そのラブレターを渡した男なんだけどよ、これがまたすげー奴でな」
谷口はそのラブレター男の素晴らしいプロフィールを延々と話し出しやがった。
くそ、俺の気もしらねえで。
「…………つーわけで、これはもう普通の女なら落ちるしかないな、ってわけだ。どうだ。貴重な情報だっただろ?」
ああ、それなら大丈夫だ。長門有希は普通じゃないからな。
「馬鹿だなーキョン」
谷口、お前に馬鹿と呼ばれる筋合いは無い。
「普通の女なら絶対落ちる。つーことは普通じゃない女でも、脈があるかもしれないってことにならないか?」
なんだその理屈は。訊いたことがないぞ。
そんなに俺を挑発して楽しいか。
「ん? おい、キョン。何で今のがお前を挑発することになるんだ?」
…………言われてみれば、そうだな。
谷口の胸倉を掴んでいた手を下ろした。って、俺はいつのまに谷口の胸倉を掴んでたんだ?
すると、今まで黙って俺達の話を聴いていた国木田が呆れた様子で、
「いい加減、気付いたら? キョン」
と言った。気付いたらって、何にだ。
「色んなことに」
そう言ったきり、国木田は再び口を開こうとしなかった。
何だってんだ。一体。
更に長い時間が経過して、ようやく放課後になった。
俺は早足で部室に向かう。隣にはハルヒも居て、こいつも同じように早足で部室に向かっているようだった。
そもそも、お前があんな気まぐれなんて起こすからいけないんだ。そう言ってやりたかったが、いまは言い争っている時間も惜しい。
部室の前まで高速でやって来た俺は、部室のドアを開けようと、ノブを掴んで捻って部屋に跳びこ―――もうとしたら、鍵が開いておらず扉は開かなかった。
もう部屋の中に踏み込むつもりでいた身体の方は止まらず、額を盛大にドアにぶつける。いてえ。
そういえば、鍵を持っている長門は返事をしに行ってるんだったか。もう一人鍵を持っているハルヒは隣にいるし。
「何やってんのあんた」
ハルヒが馬鹿にするような目で見てきたが今回ばかりは言い返す言葉も無かった。
少し冷静に考えたらわかることだったのに、突撃してしまったのは全く馬鹿だというしかない。
長門、早く来てくれよ。気がおかしくなりそうだ。
―――しかし、中々長門は部室に現れなかった。
古泉も、朝比奈さんも部室にやって来たというのに、長門だけが来ない。
時間潰しでやり始めた古泉とのボードゲームは誰がどうみても俺の完敗で、俺は初めてオセロで白一色の光景を見る破目になった。
いかん、本当に頭がどうかしている。
古泉の方は俺に勝てて喜んでいると思いきや、意外にもつまらなさそうな顔で今度は将棋を引っ張り出してきた。
「これほど相手が弱いと、僕もさすがに退屈しますよ」
普段の俺なら鼻で笑うような台詞だ。こいつに弱いと言われるとは。
いつもは清流を思わせる朝比奈さんの入れてくれたお茶も、今ばかりは泥水を啜っているような感じだ。いつもの味がしない。
朝比奈さんのお茶入れが悪いのではなく、俺の気分から来る問題だ。こんな気持ちでは三ツ星レストランのフルコースでも不味いと感じるだろう。
『病は気から』というが、ここまで気分が思考・味覚その他諸々に影響するとはなあ。初めて知ったぜ。
早速劣勢ムードを醸し出し始めた盤面をとりあえず睨んでいると、
ドアの開く音が響いた。
弾かれたように、俺の頭はそちらを向く。
自分でも驚いたくらいの勢いだった。
俺の視界は唯、そこに立つ一人の少女を認める。
長門有希。
いつもと変わらない無表情で、いつもと変わらない姿で、長門有希は立っていた。
「な」
「有希っ! 返事はどうしたの!?」
俺は質問しかけたが、それより先にハルヒが長門に質問していた。
中途半端に開いた口を閉じ、俺は固唾を飲んで長門の言葉を待つ。
永遠にも思える長い時間が過ぎ――実際には数秒のことだったのだろうが――長門は口を開いた。
「断った」
その答えを聴いた瞬間、俺は大きく溜息を吐いた。
昨晩からずっとわだかまっていたものが、すうっと消えたような感じだ。
判明してみれば、当たり前の結果だ。
今まで何を延々と悩んでいたのか、自分で馬鹿らしくなる。
「そうか」
色々な思いを込めて、俺は呟いた。長門だけが俺の呟きを聴きとめたらしく、俺の方を向いて軽く首を傾げる。
…………結局、何であれほど悩んでいたのか、わからないが、とにかく良かった。
もう一度溜息を盛大に吐き出した時、
―――長門が持っていた白い物体を俺達に翳して見せた。
…………おい、長門。それは何だ?
嫌な予感がした。
その予感は、しなくてもいいのに、的中する。
「別の人間からの恋文。先程渡された」
俺は額に手を当てて、肩を落とした。
勘弁してくれ。
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