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ああ………――――――――――温度が―――退屈――――
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――――――――そうだ―――――いこう―――あそこへ―――
その日、休日にも関わらず、いつもの不思議探索が無くなった。
理由は別に特筆するべきことでもなんでもなくて、ハルヒが家の用事で出掛けるからだそうだ。
折角空いた休日、俺は家でごろごろ過ごすつもりだったが、諸々の事情により、今は外出している。
諸々の事情ってなんだって?
家の傍で工事があって家にいても五月蝿いから何処かに行こうかと思っていたら、赤ボールペンのインクが切れて買いに行かなくちゃならなくなり、ついでに妹に頼まれてある本を買う、と…………まあ、諸々だ。
俺は最初、本屋と文房具店に行こうと思ったが、別々に行くのも面倒だったので、少し大型のスーパーに行くことにした。(同じ建物内に本屋も文房具店もある)
まさかこの判断が、あんなことになるなんて、思っても見なかったけどな……。
その大型のスーパー(あるいは小さなデパート)に自転車でやってきた俺は、駐輪場に自転車を止め、店内に入った。
中は冷房というか、弱冷房くらいの気温に保たれていて、少しずつ熱くなって来た最近の外気に良く合わせられていた。
実際、ここまで自転車を漕いで来たためか、微妙に汗ばんでいる。
熱いってわけじゃないが、こう中途半端な気候はどうにも対処に困る。
まだ半袖は早い気もするしな……かといって、長袖だとちょっと熱い。
もっと寒かったり熱かったりしてくれると分かりやすくて助かるのだが。
そんなどうでもよくて適当なことを考えながら、俺はエスカレーターに乗り、まずは二階の本屋に向かう。
……そう、本屋だ。
俺は半ば確信していたと言ってもいい。
絶対遭遇するな、と。
何故確信できたのかって?
理由なんざなくても、わかるさ。
あいつと、絶対遭遇するだろうということは。
本屋に入った俺は、まず周りを見渡しながら、店内をうろうろする。
万引きするための下見でもしているかのような見渡し方で、すれ違った本屋の店員が少し不審げな顔をするのがわかったが、気にする必要は無い。
実際、万引きなんてするつもりはないしな。
果たして、俺は見つけた。
分厚い本が並ぶ、やっぱり哲学書のコーナーで。
その本棚の前で、ボブカットの女子が見慣れた制服姿で本を立ち読みしていた。
そう、長門有希だ。
俺は自分の予想が正しかったことに満足しつつ、長門に近付いて話しかける。
「長門」
長門は急に声をかけられたにも関わらず、特に驚くでもなく、ゆっくりとした動作で本から顔を上げ、カラクリ人形の動きで顔をこちらに向けた。
その動きが止まる。
……ん? 何か妙だな。
ほとんど動かないのは長門の特徴だが、その動きのフリーズ具合がいつもよりも硬い気がする。
「奇遇だな……長門も本を買いに来たのか?」
俺はそう尋ねかけたが、長門は動かない。
首を縦にも横にも振らないのだ。
これはますますおかしい。
「長門……? どうした?」
ふと、長門の視線が微妙に俺から外れている気がした。
こちらを向いているが、でもこちらを見ていないような……そう、まるで俺の身体を透過したその先を見ているような?
「……ん? ……うおう?!」
何気なく背後を振り返った俺の視界に飛び込んできたもの。
それは、かの広域宇宙存在……いや、天蓋領域という名称になったんだったか?とにかくのその存在が創り出した宇宙人。
周防九曜がそこに立っていた。
「―――――――」
以前会った時と全く同じ服装、状態、気配を持って、そこに立っていた。
って、いつからいたんだ?
俺はここまでは自転車で来たから……まさかその時は後ろにいなかったと思うが。
……いなかったよな? こいつなら自転車の後ろでもそれこそ幽霊みたいに追尾することも可能かもしれんところが怖い。
存在感のカケラもない九曜の瞳が、俺を見ている。相変わらず茫洋としていて何を考えているのか全くわからない。
「……な、何だ? お前、何か俺に用か?」
思わず腰が引けてしまいながらも尋ねかけると、九曜は相変わらずの茫洋ぶりで呟くように言った。
「――――あなたを―――――観察―――」
相変わらず眠たさのあまり死にそうな声音をしている……つかなんて言った?
「は?」
それ以後はまともな会話にならなかった。
初めて会ったときのような「あなたの瞳は―――とても綺麗ね―――――」くらいの無意味さっぷりだったからその会話は割愛する。
九曜が何のつもりかわからず、弱り果てた俺は長門の方に向き直って助けを求める。
正確には助けを求めようとした。
だが、長門は何事も無かったかのように本に視線を戻していて、助けを求めても助けてくれるような雰囲気ではなかった。
何処と無く怒っているような気がしないでもない。
「な、長門……?」
「危険性は低い。無視出来るレベル」
淡々と、以前と変わらない評価をくれた長門は、それっきり何も言ってくれなかった。
……えっと……どうしろと?
九曜は相変わらず俺の背後で背後霊……というかうかむしろ背後霊の方が存在感があるんじゃないかというくらいの存在感の希薄さで立っているし、長門は全くこちらを見もしない。
俺は暫しの間、その場で立ち尽くした。
それから数分後。
俺と長門、それと九曜は、大型スーパーの一階に降りて、そこに組み込まれているファーストフード店にて、向かい合って座っていた。
四人掛けのテーブルに、俺と長門が並んで座り、九曜が俺の向かいに座る形だ。
相変わらず空虚な視線を向けてくる九曜に、俺は話しかける。
「つまり九曜。お前……俺に特に用事は無いんだな? ただ、観察しに来ただけ……そういうわけか?」
「――――――」
「………………」
頼む、人の話を聴いてくれ。
何故か長門は微妙に不機嫌そうだし、九曜は何を考えているのか初対面の長門以上に訳が分からん。
さっきの言葉からして、俺を観察しに来ただけだとは思うんだが……。
これからどうしようか、と俺が悩んでいると、不意に九曜が口を開いた。
「―――――――ここは―――――いい場所――――――時間の流れは―――――退屈じゃない――――――」
……いや、ほんと訳が分からない。
「………………」
長門、お前もなんか言ってくれよ……。
しかし、何で長門は不機嫌そうなんだ?
別に九曜が俺に何をしたって訳でもないし……後ろについてきていることに気付いていなかったから、驚きはしたけどな。
「あー……とりあえず、食べるか」
俺はそう言ってテーブルの上に置いていたトレイをテーブルの中央に押し出した。
ハンバーガーとコーラが三つずつに、Lサイズのポテトが一つ。ちなみに俺の奢りだ。
ハルヒ相手ならばともかく、この二人相手にして割りカンなどというせこい真似はしたくなかったからな。
とりあえず食べ始めればこの気まずい雰囲気も緩和されるかと思ったが、それは大きな間違いだった。
製造場所とメーカーが違う宇宙人製の二人は、ほぼ同時に手を伸ばし――――、一瞬早くポテトを抓んだ長門の手を、九曜の手が掴み取った。
俺の脳内で、例の喫茶店にて、喜緑さんが九曜に腕を掴まれた時のことがフラッシュバックする。
その光景と同じような光景が、今目の前で繰り広げられていた。
しかし、今回九曜が掴んでいるのは喜緑さんのような……言ってしまえば温暖かつ穏やかな相手ではない。
――――そう、長門なのだ。
長門は何も言わない。
九曜も何も言わない。
だが、俺の目には二人の間に全てを凍らせる絶対零度の冷気が流れているように見えた。あるいは、二人が始めて出会った時のように、地面の下でプレートがぶつかっているような、そんな威圧感……それが、二人の間に発生している。
俺はハンバーガーにもコーラにも手を伸ばせず、息を呑んで二人の動向を見守ることしか出来ない。
二人の視線が交錯し、一際大きな威圧感が発せられたと俺が感じた瞬間。
九曜は何事もなかったかのように手を離し、長門もこれまた何もなかったかのように抓んでいたポテトを口に運んだ。続いて九曜がポテトを抓み、口に運ぶ。
俺は深々と嘆息した。
何だったんだ今のは。
本当に訳がわからない。
精神的疲労を感じつつ、俺は黙ってコーラを飲んだ。
「…………」
「――――」
何で、こんなことになっているんだろうな。
俺は今、両手に花……というかむしろ両手に爆弾を抱えている心境だった。
右手の側には長門。
左手の側には九曜。
それぞれ一歩か二歩の空間を取って、俺の両側を歩いている。
心無しか長門の方が近いような気がするのは実際そうなのかそれとも精神的な錯覚なのか……いや、今はそれはどうでもいい。
問題は、俺を挟んで歩く二人の宇宙人が、相変わらず水面下で何らかのせめぎ合いを起こしているということだった。
つまりプレート同士の鬩ぎ合い、あるいは気団同士のぶつかり合い。はたまた巨大な隕石同士の衝突……要するに人間の感覚を超えた同士のぶつかり合いと言う奴だ。
正直、この二人の間に立っている俺はかなり辛いものがある。
長門はいつもにも増して無表情だし、九曜にいたっては何を考えているかどころか何がしたいのかすらわからない。
せめて、長門だけでもいつも通りの態度でいてくれたらよかったと思うのは、俺の勝手だろうか?
まあ、長門は九曜を警戒しているだけなんだろうけど。
俺に危害が及ばないかどうか注意してくれているんだろう。
それは嬉しいが…………。
本当に、この空気からは解放されたい。
もう本も文房具も買ったから帰ってもいいのだが、どうもそれを言い出せない雰囲気である。
そういうわけで、俺と長門と九曜は大型スーパーの中を意味も無く徘徊しているというわけだ。
……気まずい。
その気まずい雰囲気を払拭するべく、俺は何か話す話題を話すが、この二人相手にそれは虚無的行為だった。
どんな話題を出せというんだ?
長門もそうだが、九曜に至っては話題というよりもまず会話と言う概念が存在するのかどうかが怪しい。
そもそも、これまで九曜と会話が成立したこと自体がない気がする。
「…………」
「――――」
宇宙人娘二人は、相変わらずの気配と雰囲気と表情と動作で、俺の横に存在している。
沈黙が痛い。肌に刺さってくるようだ。
「あー……」
あまりの沈黙加減に我慢の限界が来た俺は、とりあえず声を上げてみた。だが、その先が続かない。
急に奇声を上げた形になってしまうが、二人は全く気にしていなかった。
視線すら向けられていない。
……ちょっと寂しい。
「あー、そうだ、そう。あのさ、九曜。お前は本とか読まないのか?」
適当に思いついたことを訊いてみると、九曜はその瞳を俺にゆっくりと向けた。
本を読むのかと訊いたのは、本を買いに来たからだとか、本好きの代表格である長門がいたからとか、そういう理由だ。
そういうことくらいしか尋ねることが無かったとも言う。
暫くして、九曜は茫洋とした口調で応えてくれた。
「―――読書――――ダウンロードに――――代替している―――――」
「……はい?」
読書がダウンロードに代替できるってこと……か?
なんのこっちゃ。
俺が頭の上を疑問符で一杯にしていると、それきり黙ってしまった九曜の代わりに長門が答えてくれた。
「地球上の概念を直接記憶領域にインストール出来るのなら、わざわざ読書という形態を取らなくても概念を得ることは出来る」
あー、要するに、わざわざ本を見なくても本の内容がわかるってことか?
電子図書の情報を脳内に丸ごとダウンロードする、みたいな感じか?
「厳密には異なる。けど、その解釈でいい」
まあ、小難しい話は長門か古泉の担当だ。
俺はそれ以上その話には突っ込んで尋ねたりは……した。
ちょっと気になることがあったからな。
「九曜に出来るってことは、長門も出来るのか?」
俺の問いに対し、長門は半瞬だけ沈黙した。
「……技術的には可能。しかし、わたしはそれを好まない」
「……なんで?」
「読書とは、本の頁を来る動作もその概念の中に含まれている」
なるほど、電子図書って奴があるが、本好きの中にはその電子図書って奴が好きじゃなくて、わざわざ分厚い書籍を持ち歩くって奴もいるからな。
多分、長門もその中の一人なんだろう。
俺としては軽く済むならそれに越したことはないとも思うけど、やっぱりゆっくり読むんなら紙の本の方がいい。
本を読んでるって感じがするからな。
俺はそんな風にぼんやりと思考しつつ、何気なく呟いた。
「俺は長門の方が好きだな」
正直に言おう。
その時、俺は本当に無意識だった。
あくまでも俺は『長門の読書スタイルの方が好きだな』と言っただけで、言葉通りのことを言ったわけではなかった。
しかし、言葉だけを訊けばクソ恥ずかしい言葉ではあるわけで。
暫く無言のまま歩いてから、俺は自分が口にした言葉がそこだけを聴いたら周りにどう聞こえるのか理解して、意味も無く慌てた。
「いや、今のは、その……って、あれ? おい、長門。九曜は?」
いつの間にやら、ずっと付いて来ていた筈の九曜がいなくなっていた。
長門は淡々とした様子で答えてくれる。
「帰った」
そうは言っても、音どころか、いなくなった気配すらしなかったぞ。
さすがはというべきなのか、どうなのか……。
「え、何でだ?」
「……不明」
まあ、考えてみればそもそも九曜の存在自体不明そのものだったか。
ああ……本当に一体なんだったんだ?
とりあえず、俺はようやく宇宙人同士の存在の鬩ぎ合いから解放されて、一息吐く事が出来た。
「はあ……なんか疲れた」
「…………」
長門もいつもの無表情に戻っている。
俺がよく見慣れた、知らず安心してしまう無表情だ。
……無表情に安心するっていうのもどうなんだろうな。
さて、とりあえず、だ。
「なあ、長門。そういえばさっき本屋で何も買ってなかったけど、買わないでよかったのか?」
「……これから買いに行く」
「じゃあ、一冊分くらいならプレゼントしようか?それくらいの予備はあるから、遠慮しなくてもいいぞ」
「……じゃあ、一冊だけ」
そんな感じの言葉を交わしつつ、俺と長門は本屋に向かって歩き出した。
ちなみに、その一冊というのが3000円近くする分厚い哲学書で、俺の財布はあっと言う間に隙間風が吹くことになった。
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