長門有希の体験シリーズ
青と緑




 その日、わたしは偶然―――本当に偶然よ?―――下駄箱のところで、長門さんと『彼』が一緒に帰っているところを目撃した。


 咄嗟に下駄箱の陰に隠れたのは、別に二人が何処に行くのか、隠れてつけようとしたとかそういうんじゃなくて、純粋に長門さんの邪魔をしたくなかったから。
(折角、『彼』といい雰囲気っぽいもの……邪魔をしたら悪いわ)
 長門さんはまだ自覚していないみたいだけど、『彼』のことを特別な感情を持って見ている。
 傍から見ていれば、それはあからさま過ぎるほど明らかなことだった。




 あの冬の騒動―――『彼』がわたしがいるとかいないとか言って騒いだあの騒動―――からもう二ヶ月ほど経つ。
 当初は急に変なことを言い出した『彼』のことを警戒したりもしたものだけど、いつの間にか彼は長門さんと仲良くなっていた。
 それまで長門さんはずっと一人でいることが多かったから、彼の存在は長門さんにとっては良いものなんだと思う。
(問題は、彼の気持ちよね……)
 わたしは長門さんに傷ついて欲しくない。
 例えば長門さんが彼に対する想いを告白したとして、彼から気持ちが返って来なかったら、長門さんは酷く傷つくだろう。
 人の気持ちと言う物は操作できないものだし、強制なんて論外だというなんてことはわかってる。
 それでも、もしもそんなことになったら、わたしは彼を家にあるアーミーナイフで刺してしまうかもしれない。
 …………そんなナイフがうちにある理由は、不明なんだけど。
 閑話休題。
 並んで下校する二人は、今のところは上手くいっているみたいだ。
 長門さんも、いつもの無表情ながら嬉しそうな感情が雰囲気に滲んでいる。
 幸せそうに帰る二人の背中を下駄箱の影から見詰めつつ、わたしは満足して頷いた。
(いまのところは大丈夫そうね。あんなに嬉しそうな雰囲気だしちゃって長門さんってば)
 長門さんの幸せはわたしの幸せである。
 最初は同じマンションに住む人という認識だったけど、引越しの挨拶に行った時にその認識は一変した。


 どうしても放っておけない。


 守ってあげたくなる。


 しかも、そんな認識を持ったのはわたし一人ではなかったの。
 もう一人、同じマンションに住む、『あの人』も以前同じようなことを言っていた。
 噂をすれば――――声には出してなかったけど――――かしら?
 その人が、現れた。


「あら、朝倉さん、奇遇ですね」


 のほほんとした穏やかな声。
 わたしはすぐにその声が誰のものかわかった。
「あ、喜緑さん。今帰り?」
 喜緑江美里。
 生徒会書記。
 そして、同じマンションに住む同志。
 わたしも喜緑さんも、長門さんを『守ってあげたい』と思っている。
 喜緑さんはいつも通りの、のんびりとした表情と仕草でわたしの質問に答えを返した。
「ええ、そうです。……と言いたいところですけど、帰れませんね」
「どういうこと?」
 妙なことを言う喜緑さんに、わたしが尋ねると、喜緑さんは一枚の封筒を取り出した。
 まさか、ラブレター?
 それを貰った、と自慢したいのだろうか?
「わたし宛ではないんです」
 ちょっと微笑みながら言う喜緑さんの背後に一瞬黒い影が見えたような……いえ、気のせいよね。
 少しだけ怯えながら、わたしは確認する。
「じゃあ、誰宛なの?」
「見てみます?」
 そう言って喜緑さんが差し出した、封筒の表。


 そこには、真面目そうな書体で『長門有希さんへ』と書かれていた。


「…………」
「…………」
 どう反応を返すべきなのだろう。
 いまどきラブレターを出す人がいることにも驚きだけど。
 わたしは暫く悩んでから、言った。
「……えっと、さすがにちょっと長門さんに悪いんじゃない? 勝手に下駄箱を開けて中の手紙を取り出すなんて……」
 というか、プライバシーの侵害だ。
 いくら『守ってあげたい』人とはいえ、そこまで干渉しては唯のおせっかいにしかならない。
 でも、悪びれることなく、喜緑さんは微笑んだ。
「わたしも、これが普通のラブレターだったら、何もしなかったでしょうけどね」
「どういうこと?」
「中身を見てみてください」
 微笑は変わらない。それが怖い。
 何か、怒りを内包している笑みに見える。
 わたしはとりあえずその封筒を受け取って、中身を取り出してみた。
 カッターとかが仕込まれているのかと思ったけど、特に何の仕掛けもない。
 極普通の便箋に、やっぱり真面目そうな字体で、長門さんに対する想いと、『どこそこに来て返事をして欲しい』という旨の連絡が書いてあるだけだ。
 その書き方や字体から、真摯さが伝わってくる。
 少なくとも、プライバシーを侵害してまで長門さんの目に触れさせてはいけないものではないように思える。
「……どういうこと? 至って普通のラブレターよね?」
「それを踏まえた上で、これを聞いてみてください」
 喜緑さんは、ポケットからMP3プレイヤーを取り出した。
 片方のイヤホンは自分の耳に差込み、もう片方のイヤホンをわたしに向けて差し出してくる。
「???」
 疑問符で頭を一杯にしながらも、わたしは大人しく従ってイヤホンを耳に差し込んだ。
 わたしが差し込むのを確認してから、喜緑さんはプレイヤーを操作する。
『……ガタガタ、バタン、ざわざわ…………』
 録音機能を使って、録音した音声のようだ。人が動く音や小さい扉を閉じるような音、喧騒が聞こえてくる。
 その音声の中から、いくつかはっきり聞き取れる声がした
『……入れてきた?』
『おう、入れた入れた』
『勇気あんなーお前……』
 男子三人の声。どれも知らない声だ。
『……しかし、望み薄なんじゃねーの? あの長門有希だぜ』
『無謀だと思うけどなー……つか、いまどきラブレターって』
『ばーか。それがいいんだろ。目立つだろ?』


「……長門さんに告白しようとしているわけ?」
「ええ。偶然通りかかったとき、こんな話をしていたので、録音しました」
「何で録音装置なんて持ってたの?」
「わたしは生徒会書記ですよ?」
「……言われて見ればそっか」


『しかし、お前もマイナーだよな……あの無表情女が好きなんて』
『確かになー。でも、顔はいいよな』
『だろ? 彼女にしたら自慢になるぜ。それに自己主張しなさそうでいいじゃん』
『あ、それ言えてる。何でも言うこと聞いてくれそうだし』
『だろ? やっぱり自己主張が激しい女ってめんどくさいしさ』


「…………」
「…………」


『あの文面も凝ってたよなー。真面目な文章と文体で』
『物凄く苦労して書いてたよな。何で?』
『そりゃお前、来なかったら困るだろ? 真面目な文章と文体で書いておけば完全に無視できず、会うだけ会ってあげようかなって気になるわけだよ』
『会うだけだったらダメなんじゃね?』
『呼び出す場所は校舎裏だ。あそこにはほとんど人は来ない』
『おいおい……まさかやっちまうってわけ?』
『わるー』
『ばっか。さすがにそこまで鬼畜じゃねーよ。……でも、キスくらいならいいか。小柄だし、抵抗出来ないだろ』
『いいねえ。陰からこっそり見てていい?』
『見物料取るぞ?』
『ひでーなーおい』


「…………」
「…………」


『いや、しかしさ。それで教師にチクられたらどうすんだよ。悪けりゃ停学とか……』
『たぶん、チクるような度胸無いだろ』
『精々泣き寝入りするのが関の山ってわけか?』
『その通り』
『あっははは。言えてる』
『確かにな……あははは』


 笑い声が響き、それが徐々に小さくなって消えた。
 暫くの間、静かに時間が流れる。
 ふと、気が付くと、喜緑さんがわたしの顔を覗き込んでいた。
「わかっていただけました? ラブレターだけを見れば、普通の真面目そうな物だった。これを長門さんが見ていたら……」
 にっこり笑っている喜緑さんの顔を見返しながら、わたしも笑った。
 皆まで言われなくても、


「ええ、とっても、よくわかったわ」


 それから暫く、二人して笑い合う。
 途中、通りかかった一年生が、笑い合うわたし達を見て、思いっきり身を竦ませていた。
 その顔は恐怖で歪んでいた……ような気がする。
 え? 何で『気がする』なのかって?
 だって、その時わたしの頭の中は別のことで一杯だったから、そんなことに気を払う余裕がなかったの。
 別のことって何かって?


 ふふ…………わかるでしょう?








 俺が長門と、下校路を並んで歩く穏やかな時間を過ごしている時、三台の救急車が坂を上って行き、また降りて行った。
 一体、何があったんだろう。


 少々気になったが……何となく気にしない方がいい気がした。








『青と緑』終




あとがき


 消失長門編初登場、喜緑さんでした。
(というか考えてみたら喜緑さん自体あんまり書いてない……)
 ちょっと喜緑さん関係の設定が捏造過ぎるかな?
 それと、朝倉の一人称で初めて書きましたが……難しいですね。
 色々と変な箇所があるような気がします。
 さらにちょっとギャグ風味も入れてみました。
(笑えるかどうかは微妙です)
 色々と初めての試みばかりで、実験的な作品となってしまいました。
 でも、私的に話の内容自体は気に入っています。
 愛されてますね、長門さん(笑)。
 ちなみに私の中で喜緑さんは『冷静な策士』か『沈黙の傍観者』というイメージです。
 どんな悪夢が男子三人組を襲ったのかは、読者様の想像にお任せします。まあ、それなりに酷かったとだけ(笑)。




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