暗闇の中、わたしは目を覚ました。
まだ眠気が残る目で、枕元に置いた時計を見る。確認した現在時刻は七時十分。
それにしては暗すぎる、と思ったが、窓の外で激しい雨音が響いているのを聴覚が捉えた。
(正確に言うと、今までも音としては聞えていたが、意識を向けたことでその音が激しい雨音だと理解することが出来た)
そういえば、昨日の夜のニュースで今日は豪雨の予報だった。
これほどの豪雨。警報が出ているかもしれないが、わたしの家にはテレビがない。
小型のラジオを持ち出してきて、電源を入れた。
ほどなくして、わたしが住んでいる地域に大雨洪水警報が発令されていることを知る。
雨が止む気配は無いし、今日は臨時休校になりそうだ。
こういう時、一般の高校生ならば、休みになったことを喜ぶのだろうか? あの人もそうなのだろうか?
少なくとも、わたしにとっては臨時休校は全く嬉しくなかった。
ほとんど会話は無いにしても、学校に行けば、放課後になれば、彼に会えるのだから。
彼が部室にいる状況も日常になって慣れてきていたから、こうして会えない日が来ると辛い。
彼氏彼女の関係というわけでもないのに、何という浅ましい気持ちだろうか、と自分でも思う。
外では雷までもが鳴り始め、雨音は更に増した。
寝室から居間に出ると、窓に激しい雨がぶつかる様子が見れた。風も相当強いようだ。
空の彼方では、雷の予兆か、空が光っている。
これは絶対に臨時休校確定だ、と思ってまた寂しくなった。
独り暮らしの家には誰もいない。
外が真っ暗だから部屋もまた暗い。
耳を澄まして聴こえてくるのは激しい雨音と不穏に唸る雷の予兆。
棒立ちになって窓の外を眺めていると、まるで世界から孤立しているような錯覚に陥った。
まだ独りでいることに慣れていなかった高校入学当初のことが思い出されて、また寂しくなる。
馬鹿な想いだ。
どんな想いを描いたところで、受け止めてくれる人がいなければ想っていないのと同じこと。
一瞬彼の顔が思い浮かんだが、それだけだ。一応彼の家の電話番号は知っているが、そこにかけようとは思えない。理由が無かったし、こんなことで電話をかけたら彼は疎ましがるかもしれない。そんな人ではないとわかってはいたけども、どうしてもその考えが頭を離れない。
何かの拍子に彼に嫌われたら、きっと哀しい。
いつもは考えないようなことまで考えている時点で、わたしの思考は負の方向に向かっていた。
真っ暗な世界。
独りぼっちの部屋。
不穏に響く雨音。
それらが普段は想わないようなことばかりを思い浮かべさせる。
初めから世界に独りだけだったなら、こんなことも想わないで済んだのだろうか…………などと想い始めたその時、
―――音が響いた。
耳慣れない音に思わず身を竦ませたが、すぐにその音が電話の鳴る音だと気付く。
ほとんど物がないこの家にも電話だけは存在する。テレビと違い、電話は家に一つはなければ不都合だったからだ。
でもいままでかかってきた電話はセールスや勧誘の電話のみであまり役に立ってない。
かけてくるような相手もいないはずで、セールスや勧誘の電話もこんな早朝にはまずかけてこない。
誰だろうと思いつつ、電話を取って耳に当てる。
暫く無言で待っていると、耳に当てた受話器から声が聴こえて来た。
『長門か?』
思わず、自分の耳を疑った。
何故、彼が。
わたしが疑問に思ったのが伝わったのか、彼が慌てて言う。
『あー、お前んちの電話番号、谷口っていう俺の悪友に訊いたんだ』
谷口。その名前には訊き覚えがあった。確か彼の友達で、一年の女子の中でも容姿端麗な女子をランク付けして、名前をフルネームで覚えているらしい。以前彼が呆れ顔で話してくれたことがある。
その谷口という人は女子達の電話番号まで網羅しているのだろう。個人情報保護法が制定されている現在、どのような方法で電話番号を調べたのかはあえて訊かないことにした。
彼が電話番号を知っている理由はわかった。しかし別の疑問が浮上する。
彼は、一体何故電話を掛けてきたんだろう?
わたしがその理由がわからず彼の言葉を待っていると、彼ははっきりと言った。
『長門、お前大丈夫か?』
一瞬、わたしの呼吸が止まる。
『お前一人暮らしだろ? 電気止まったりしてないか? 外は暗いし…………何があっても外には出るなよ? 長門は軽いから吹っ飛んじまうぞこの風じゃ』
誰かが、わたしの心配をしてくれている。
たったそれだけのことが、嬉しかった。
ついさっきまで暗く沈んでいた気持ちが、ふっと軽く、暖かくなった気さえする。
『長門。本当に大丈夫か?』
だからこの一言に全ての気持ちを込めて、彼の言葉に応える。
「大丈夫。…………ありがとう」
凄まじい雷の音が暗い部屋の中に響いたが、少しも気にならなかった。
まだ、心が暖かい。
電話は切れてしまったけど、最後に彼が付け加えてくれた言葉が、耳に残っている。
いつも通りの声で、いつも通りの調子で、まるでそれが当たり前のように。
『また、明日な―――』
明日は晴れるといい。
黎明にて、わたしはそう思った。
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