長門有希の体験シリーズ
その賑やかな夜に




 わたしは悩んでいた。


 現在、季節は夏本番。学校は夏休み中。
 以前の夏休みはその間中、図書館に行って本を借りて部屋で読んでいたけど、今年は度々凉宮ハルヒに呼び出されている。
 SOS団の活動と称して色んなところに遊びに行った。産まれて初めてプールというところにも行ったし、バイトというものも経験した。
 ただ、プールに行って溺れて、バイトではあまりの暑さに倒れたけど……。
 その度にあの人に助けられ、迷惑をかけてしまった。とても情けない。
 彼は笑って許してくれたし、わたしを助けること自体を何故か彼自身が嬉しく思っていたようだったけれど。
 ……大分本筋から離れ始めた思考を、わたしは元に戻した。
 手に持った一枚のチラシをじっと眺める。
 それは昨日の夕方ポストに入っていた物だ。チラシがポストに入っていること自体は特に珍しいことじゃない。気にするべきはこのチラシの内容。そのチラシには大きく『夏祭りについて』と印刷されている。あるところで開催されている夏祭りの案内についてのチラシ。
 それを見ながらわたしは悩んでいた。
 何を悩んでいるかは、言うまでもないだろう。
 『彼』を誘うおうかどうしようか――かれこれチラシを手にしてから丸々一日ほど、悩んでいる。祭りの日時は明日なので、これ以上悩んではいられない。
 わたしはチラシを持って電話機の前に立った。彼の電話番号は覚えている。彼が『何かあった時のために』と教えてくれたから。受話器を取ろうと手を伸ばし、受話器に触れ、持ち上げる直前、あることに思い至って固まった。
 ……迷惑ではないだろうか。
 こんなことに誘って良いものだろうか。迷惑に思われるかもしれない。それに誘う理由がない。『色々迷惑をかけた謝罪も兼ねて』と思っていたが、わたしがあの人を誘っても、謝罪どころか迷惑の上塗りになるのではないだろうか?
 やっぱり止めよう。
 そう思って受話器から手を離した――まさにその瞬間、


 電話が鳴り出した。


 驚いて数秒間反応できなかった。驚きで跳ね回る心臓の鼓動を抑えながら、受話器を取る。「もしもし」と呟いたけど、たぶん向こうには届いていないくらいの声量しか出なかった。
『もしもし?』
 受話器から聞えてきた声に、わたしの心臓の鼓動は先程とは別の理由で跳ねる。
 こちらが沈黙していても、彼は慣れた調子で言葉を続けてくれた。
『長門。明日何か用事あるか?』
「…………ない」
 あなたを夏祭りに誘おうと思っていた、とは言えない。
 彼はわたしの答えを聴いて安心したように、
『実はさ、明日夏祭りがあるんだけど…………妹にせがまれちまってな。妹を連れて行くことになってるんだよ。お前も来ないか? 行ったことないだろ? 楽しいぞ』
 実際、初めてだった。遠くから祭りの光景を眺めたことはあったけど。
「…………いく」
 本音を言えば彼と二人きりが良かったけど、それはとても恥ずかしい。彼の妹が一緒の方が良いのかもしれない。
『そうか! わかった。じゃあ待ち合わせだけど…………」
 その後、彼と待ち合わせ場所や時間などのことについて簡単に話し合って、受話器を置いた。
 明日、彼と祭りに行ける。
 そう思うと、自然と嬉しくなった。
 早速明日の準備をしようとして、
「ふっふっふ。聴いたわよ、長門さん」
 朝倉涼子が視界に入った。
 わたしの心臓はまた驚きで跳ねる。一人暮らしのわたしは防犯の関係上、常に玄関に鍵をかけている。一体どうやって、いつの間に入って来たんだろう。
「以前合鍵を作ったのよ。あなたの鍵を使って型を取って」
 まるでわたしの心を読んだかのように、朝倉涼子はそう言った。
 まさか自分で作ったのだろうか? 色んな意味で恐ろしい。
 …………というかそれは犯罪では。
「そんなことより、聴いたわよ、長門さん」
 彼女はなぜか少し厳しい顔になった。わたしは思わず怯む。
「な、何を?」
「祭りに行くんでしょう! 彼と一緒に! ――祭りと言えば、これでしょ」
 そう言って彼女は手に持っていた包みを開いてわたしに見せてくれた。


――包みに入っていたのは、綺麗な花柄の浴衣。


「長門さんに似合うと思うわ。是非明日はこれを着て行ってね」
 何でそんな物をいま手に持ってるんだろう。祭りに行くと決まったのはいまさっきなのだけど。
「あら、長門さんのところにはチラシ、入ってなかった?」
 彼女の話を要約するとこういうことらしい。
 わたしと同じようにマンションのポストに入っていたチラシを見た彼女は、わたしにそれを口実にして、あの人を祭りに誘うように言うつもりだったらしい。そこで自分の家にあった浴衣を持って、わたしのところに来た、ということ。
「でもまさか、長門さんが自分からあの人を誘うとは思ってなかったけどね」
 …………何を言ってるんだろう。電話をかけてきたのは彼の方。かけようとはしたけれど……。
「なに誤魔化してるの。その手に持ってるのは、何?」
 そこでわたしは、祭りに関するチラシをいまだに手に持っていることに気付いた。これを持って受話器の前に立っていれば、確かにわたしの方から電話をかけたように見える。
「こ、これはちが――」
「意外に長門さんも積極的だったのねー。これならわざわざ世話焼かなくても大丈夫だったかしらー」
 にやにやと笑う彼女は、勘違いを正そうとしない。
 その嫌味は無いけど、意地悪な笑顔を見て、分かっていながら勘違いしたままでいるんじゃないだろうか、と思った。








 早く来て欲しいような欲しくないような待ち合わせの時間は、あっと言う間にやって来た。わたしは待ち合わせ場所に指定された駅前の広場で、彼が来るのを待っている。
 朝倉涼子に着せられた浴衣は着慣れていなくて、ただでさえ落ち着かないというのに、刻一刻と迫る待ち合わせ時間は、更に落ち着かない気分にさせてくれた。
 おまけに通行人達が、わたしの方をちらちら見ていることも気になった。ひょっとして似合っていないのだろうか。
 やはりいつも通りの制服にするべきだった。あれならいつも着ているので、似合っているのか似合っていないのか気にする必要が無い。
 まだ待ち合わせの時間までは十五分もある。それまでこの気持ちで待ち続けなければならない。それを考えると凄く億劫だ。
 とはいえ、万が一にも遅れたくなかったのだから、仕方ないことではある。
 諦めて溜息を吐き、雑踏を眺めながら彼が来るのを待っていると、見知らぬ男子が二人、わたしの傍に近づいてきた。
「君、一人?」
「浴衣、似合ってるネ」
 やけに甘い声だった。わたしがどう答えていいのかわからず固まっていると、二人のうちの一人がわたしの手首を掴んできた。
 思わず振り払おうとしたが、その手はがっちりとわたしの手首を掴んでいて、外れない。
 …………気持ち悪い。
「一人なんだったら一緒にあそぼーぜ」
 甘ったるい声で、その男子はわたしの耳元で囁いた。嫌悪感を覚え、思わずわたしが顔を逸らすと、男子は傷ついた顔をした。
「おいおい、そんな嫌がらなくても……っぶ!?」
 再び顔を寄せてきたその男子の顔が、唐突に横に吹き飛んだ。顔と一緒に身体も吹き飛び、わたしの手首を掴んでいた手も外れた。
 何が起こったのかわからず呆然としていると、不必要なまでに友好的な声が聞えた。
「ああ、すまん。振り回したら当たっちまった」
 手に持ったリュックサックを見せ付けるように揺らしている。
 彼だった。
「て、てめえ、なにしやがる」
 リュックサックに何が入っているのかはわからないが、横に吹き飛ぶほどの衝撃を受けた男子が、もう一人の方に助け起こされながら悪態をついた。
 しかし彼は一瞬たりとも怯まず、
「こいつは俺の連れだ。嫌がってるのにちょっかい出したお前らが悪い」
「て、てめえ…………」
 まずい。これは喧嘩になる。倒れた男子の拳が震えているのが見えた。
 だが、彼は臆することなく、彼の後ろにいた妹にリュックサックを投げ渡した。
「妹よ。そこにあるレンガをリュックサックに詰めてくれ」
 道端にディスプレイとして置かれているレンガを指差して、彼は平然と言い放つ。
「りょーかい!」
 楽しそうに返事をする彼の妹。にこにこ笑いながらレンガをリュックサックに詰めようとした。……それで殴ったらまず間違いなく死ぬと思う。
「ちょ、まて」
 青くなって後ずさる男子二人。気持ちはわかる。いまだに彼は友好的な笑みを浮かべているのだ。単純に激怒されるより怖いだろう。
「さっさと去った方が、お互いのためだと思わないか?」
 言われるまでもなく、男子二人は大慌てで逃げていった。
 わたしが彼の迫力に何も言えないでいると、彼はそんなわたしを見て困ったような笑みを浮かべた。
「言っとくけど、それで殴る気は無かったからな? もしあいつらが逃げなかったら、それで牽制しながら、少し行ったところにある交番に駆け込むつもりだったんだ」
 言い訳をするような口調で彼は言う。確かに、いまさっきの光景だけ見たら彼が危ない人のようなので、気持ちはわかった。
「大丈夫」
 そう言っておいた。彼のことはよくわかっている。本気で人を傷つけたりするような人ではない。
 言葉に込めた気持ちは伝わったらしく、彼は安心したように微笑んだ。
「そうか。…………そうだ。長門」
「?」
「浴衣、似合ってるぞ」
 彼のその言葉を聴いた瞬間は理解が出来ずに固まってしまったが、理解すると同時に頬に血が上るのをはっきりと自覚した。
 嬉しいやら恥ずかしいやら、もう自分で自分が訳がわからなくなる。
 褒めてくれた彼自身も照れているらしく、少し紅くなった顔を余所に向けていた。
 居心地は決して悪く無いが、なんとも言い難い沈黙に包まれる。
「ねーキョンくん、祭り行こうよー」
 彼の妹が沈黙を破ってくれた。お互いほっと一息吐く。
「お、おう。じゃあ、行くか」
 わたしは頷きを返した。


 雑踏は益々賑やかになっていく。








 決して必要以上に近付けないけど。
 けど、近くにいれる。
 それだけで、嬉しい。








 人が溢れるばかりに増え始めた雑踏を、わたしと彼と彼の妹は歩いていた。
 彼の妹を間に挟む形で、わたしと彼は祭りの会場に向かって歩いている。
 ふと、人から見た場合、わたし達がどういう関係に見えるのか考えてみた。妹が間にいるとは言っても、まさか夫婦には見えないだろう。新婚にしても若すぎる。と、すれば、やはり兄妹三人に見えるのだろうか。
 そんな下らないことを考えていたから、前方への注意が散漫になり、前から来た人に軽くぶつかってしまった。
 お互い短く謝ってすれ違う。
「気をつけろよ長門。人が多いからな」
 彼がわたしを気にして、そう声をかけてくれた。わたしは頷きを返す。
 と、わたしと彼の間にいた妹が、急に走り出した。わたしは何事かと思ったが、彼は動じず、
「こら! 走るんじゃない! 危ないだろ!」
 そう窘める。その時の彼は何というのか、とても『お兄ちゃん』の顔をしていた。妹の方はそんな彼に元気良く返事をしたが、走ることは止めない。
 何を見つけたのだろう、と彼女の走る先を視線で追う。
 彼の妹の走る進路の延長上に、少し大人びた感じの、中学生くらいの女の子が立っていた。
 彼女の下まで辿り着いた彼の妹と、その女の子は楽しげに会話を交わしている。どういう関係なのだろうと考えたのが、彼に伝わってしまったのか、彼は短く答えてくれた。
「あの子は妹の友達。通称ミヨキチ。大人びてるけど、あれでも妹と同年代だ」
 なるほど。女の子と彼の妹の関係が判明した。
 彼の言うことを理解して頷くと、彼は続けてこう言った。
「妹は彼女とここで待ち合わせをしてたんだ。ここまで連れて来るのが俺の役目だったんだよ。ここって結構遠いしな」
 なるほど。
 …………あれ? と、いうことは?
 思わずわたしが彼の顔を見ると、彼は少し気まずそうな顔をして、明後日の方向を見ていた。
「あー…………今更なんだが。つーわけで妹とはここで別れることになるんだ。必然的にここからは二人きりってわけで…………」
 …………。
 思わず思考がフリーズしたわたしを見て、彼はゆっくりと口を開く。
「…………嫌か?」
 まさか。
 わたしは大慌てで首を横に振った。振ってから、こんなに慌てふためいたら、逆に怪しまれそうなことに気が付いて、どうしたらいいのかわからなくなってしまった。
 幸い、彼はそこまで深読みすることはなく、
「そうか…………良かった」
 と、安堵していた。まさかわたしが彼と二人きりになることを嫌がると思われていたのだろうか。緊張はすると思うけど、嫌な訳がない。
 わたしはその想いを伝えたかったけど、どう言葉にすればいいのかわからなかった。
「…………」
「…………」
 お互い暫く無言。
 ちょっとだけ気まずくて、わたしは視線を余所の方向に泳がせた。


――その視界に、色とりどりの壁が移る。


 無意識のうちにじっと見詰めてから、慌てて視線を逸らした。
 いくら欲しくても、いくら興味があっても、いくらお金に余裕があると言っても。
 これは避けておきたい。これを買えば、通常の女子高校生から感性がずれていることを表明するようなものだ。第一、彼にこんなものに興味があると悟られたくない。
 別に、悪いことではない。
 禁止されているわけでもない。
 でも、『それ』は…………。
 しかし視線は素直だ。ダメだと思いつつも、どうしても視線がそちらに吸い寄せられる。幸い、彼はまだ明後日の方向を向いている。視線を何度も向けたことは、ばれていないはず。
 とにかくこの場から離れたかったが、彼が動かないのでそうすることも出来ず、とにかく気を抜くと吸い寄せられてしまう視線を逸らし続けるのに必死になっていた。
 ようやく彼の顔が正面を向き、「い、行くか」と少し緊張した声で呟いた。
 わたしはほっと胸を撫で下ろし、歩き出す彼に付いていく。


――その時、彼は立ち止まって『それ』を見た。


「長門。あれ、買わなくていいのか?」
 心臓が跳ねる。
 何故。どうして。そんなことを言うんだろう。まるでわたしが欲しがっているのを知っているように。
 でも『それ』は。
「あれは確かに幼い子向けかもしれないけど、高校生でもしてる奴はいるし。欲しいなら…………あ、別に欲しくなかったか?」
 彼はちょっと顔を顰めてそう言った。わたしに対して失礼なことを言ってしまったのではないかと焦ったようだ。
 それは彼の勘違いだったので、わたしは首を横に振る。
「…………欲しくない、わけではない」
 むしろ欲しい。
 何故か惹かれて止まない。
 お祭りの映像や写真を見たとき、まず惹かれるのが『それ』なのだから。
 色んな人気キャラクターや有名キャラクターを模った物。
 『お面』。
 わたしはそれに惹かれていた。何故かはわからない。けど、どうしても。
 ただ、惹かれているとはいえ、それは一般的に幼い子供がつけるものだったので、避けようと思っていた物だった。
 ところが、
「すいませーん。これください」
 彼がいつの間にか店の前に移動していた。しかも一つのお面を店主に差し出している。
 わたしがどうするべきかわからず固まってしまっていると、会計を終えた彼がわたしの傍に来て、わたしの頭に手に持っていたお面を被せてくれた。
「これで、良かったよな?」
 それは質問ではなく、確認だった。どうしてわたしの欲しかった種類のお面がわかったのか――不思議に思ったけど、それは訊かないことにして、彼の確認に対して頷きを返す。


――それは、もう何代目かもわからない、銀色の宇宙人を模ったお面。


 それが、わたしの頭の上に乗っかっていた。
 不思議と嬉しくなった。
 一連のやり取りの内に、二人だけになった気まずい沈黙も消えていて、それを喜んでいるのか彼は、
「んじゃ、いくか」
 と少し弾んだ声で言った。
 わたしは頷く。
 心が楽しく弾んでいるのを自覚しながら。








 人が満ち溢れている祭りの会場を、わたしと彼は並んで歩いていた。
 ここまでやって来るまでにも、色々な種類の屋台があり、わたしはいちいち目を奪われて彼に少し苦笑されてしまった。
 嫌な感じの苦笑ではなかったけど。
 ただ、周囲を見渡しながら歩いていたので、何度も人にぶつかりそうになる。
 きわどいところで避けたこともあった。
 そんなことを繰り返していると、ふと、彼がわたしをじっと見詰めていることに気付いた。
「…………なに?」
 気になって尋ねると、彼は顔をわたしから逸らし、
「ん…………いや、別に…………」
 と、言葉を濁す。
 どうしたのだろうと思っていたら、また人にぶつかりそうになった。
「危ないなあ」
 子供を連れたその中年男性は少し迷惑そうに顔を顰める。慌てて頭を下げた。
 幸いそれ以上何か言われることはなく、その人は子供を連れて去っていった。
 その様子を見ていた彼が、また唸った。
「…………うーん」
 何やら彼は悩んでいるようだ。
 本当にどうしたのだろう。
「なあ…………長門」
 躊躇いがちに、彼が口を開いた。
 どうしたのだろう。知らず知らずのうちに迷惑をかけてしまっていたのだろうか。
 そう思って、自分で思ったことに恐怖を覚える。
 本当にそうだったらどうしよう。
 もしそうだったら謝るしかない。でも、これまでにも沢山迷惑をかけてきたのに、更にかけたのだとしたら、謝るだけでは済まないのではないだろか。
 ひょっとしたら彼に呆れられて、嫌われたかも…………。
 そんなことをわたしは考えていたが――彼はこう言った。


「手、を繋がないか?」


 思考停止。
「ほら、やっぱ人が多いしさ。はぐれないように、だな。はぐれると探すのも大変だし。繋いでおいたら、さ。はぐれないで済むし…………」
 再び完全に固まったわたしを前に、彼は言い訳めいた言葉を並べていく。
 不意に、わたしは自分が恥ずかしくなった。
 わたしが下らないことを考えていたときも、彼はわたしのことを心配してくれていたのだ。だというのに、わたしは自分のことばかりで、彼に嫌われたらどうしようなどと考えていた。
 自分で自分が情けない。
 彼は、こんなにも優しいのに。わたしは彼に嫌われたと思っていた。
 わたしの沈黙をどう受け取ったのか、彼は大慌てで視線を明後日の方向に逃がした。
「す、すまん。長門が嫌ならいいんだ、変なことを言ってすまなかった」
 違う。
 わたしが自分勝手だっただけ。
 あなたは何も悪くない。
 それらを言葉にするよりも早く、わたしは行動を起こしていた。


――彼の手に、自分の手を繋ぐ。


 暖かくて、わたしより大きい手をしっかりと握り締めた。
 そして、想いを言葉にする。


「…………嫌なわけ、ない」


 彼の耳に届いたかどうかも怪しいくらいの、小声だったけど。
 それでも彼に想いは通じたのか、彼はにっこりと微笑んだ。
「…………そうか。なら、良かった」
 穏やかな笑みを浮かべる彼を直視出来なくて、わたしは真っ赤になっているであろう顔を俯ける。
 穏やかな声が降って来た。
「じゃあ、行くか…………何か食うか? たこ焼きとかどうだ?」
 こくりと頷き、わたしは彼と共に歩く。


 賑やかな夜に、わたしと彼は溶け込んで行った。










『その賑やかな夜に』終
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