大切にしたいもの




 我らがSOS団の誇る万能選手。
 こう言えば、これだけで誰のことを示しているのかわかるだろう。
 そう、長門有希だ。
 情報統合思念体とやらが作り出したという対有機体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース。
 最近とみに感情らしきものが見えてきて俺としては何となく嬉しく思える、あいつだ。
 とはいえ、あまり喋らない無口キャラであることは変わらないし、むしろそこが変わったらそれは長門じゃないような気がするのでそこは変わらないで欲しいと思う。
 あまり表情も動かないのは変わらないが、その眼にはどことなく色んなバリエーションが見えるようになっている気がする。
 そんなあいつを、ある日、俺は意外な場所で見つけた。








「……あれ? そこにいるのは、長門じゃないか?」
 思わず俺がその背中に向けて呼びかけると、その背中がゆっくりと振り向いた。
 すると、思った通り――長門がいつもの無表情で俺を見詰めてきた。
 俺は長門に歩み寄りながら、声をかける。
「お前がこんな場所にいるなんて、珍しいな」
 言いながら、俺は手に持つ重い荷物を、抱え直した。
 いま、俺と長門いる場所は、ホームセンターというところだ。
 俺は母親に頼まれて、電球やらなんやら日用品で必要な物を買いに来たのだが、こいつがこんなところにいるのは予測していなかった。
 長門と言えば本屋か図書館に行くくらいしか思っていなかった。
 しかし、現実長門はここにいる。
 長門は黙って俺を見ている。
 ふと、俺は長門が今まで立っていた場所が、本棚が立ち並ぶコーナーであることに気付いた。
「ひょっとして長門……本棚を買いに来たのか?」
 長門は微かに頷く。
 ふーん……かなりの読書家だし、図書館で借りたりする以外にも、自分で買ったりもしてるんだろうしな……本棚が一杯になってしまったってとこか。そういえば大掃除の時、本を捨てようとしたら嫌がってたし、そりゃいつか本棚が一杯になることもあるよな……。
 しかし、確かまだ部室の本棚には若干の余裕があったように思うんだが……。
「部室の本棚ではない」
 じゃあ、どこのだ?
「わたしの部屋」
 あれ、お前の部屋に本棚って、あったか?
「ない。いままでは本は全て備え付けの棚の中に収納していた」
 じゃあ、そこが一杯になったってことか。
「そう」
 へえ。こいつの性格上、本以外の物を買うとも思えないし、棚と言う棚が本で一杯になってしまったのか。
 なんとなくそれはまさに『長門の部屋』って感じだな……。
 長門は珍しく、訊いてもいないのに喋った。
「以前から備え付けの棚に本を保存することは避けたいと思っていた。収納能力はともかく、保存状態があまりよくない。本が傷んでしまう可能性がある」
 なるほど、本を傷めたくないから、本棚を買おうと思い至ったってわけか。
 読書家の拘りだな。
 長門はあまり本自体には興味がないように思っていたが……そうでもないようだ。
「なあ、長門」
 俺はふと気になったことを長門に尋ねてみた。
「本棚、持ち帰れるか?」
 いくらこいつがハイスペックな宇宙人生のヒューマノイド・インターフェースだとしても、重い荷物を運ぶのは大変だろう、と思った。
 良ければ手伝ってやろうと思ったのだが……長門はゆっくりと首を横に振る。
「配達サービスがある」
 ああ、なるほどね。それなら安心か。
 いや待てよ。
「しかし、それだと配達料がかかるんじゃないか?」
「…………」
 長門は沈黙してしまった。
 そのことに思い至っていなかったのか、あるいは悩んでいたのか……とりあえず、俺は提案してみることにした。
「なんなら、手伝おうか? 俺が運べば、配達料もかからないし、組み立てるのも手伝えるぞ」
 暫くの間長門は黙って考えていたが、微かに頷いた。
 これはお願いしていると取っていいだろう。
 俺は軽く腕を回した。
「よし、任せとけ。で? 買おうと思っているのはどれだ?」
 俺の問いに対し、長門はゆっくりと振り向いて、一つの本棚を指差した。
 その本棚は……結構、でかかった。








「よっ…………い、せぇ!!」
 ようやく長門の家の玄関に辿り着いた俺は、持ち上げていた本棚を降ろした。
 明日辺り、筋肉痛で腕が動かないかもしれん……。
 俺はぶらぶらと手を振りつつ、背後の長門に訊く。
「さて……この本棚、どこに運べばいい?」
 長門は俺が母親に頼まれた荷物を持ってくれている。
 荷物を持たせるのは嫌だったが、この本棚だけで精一杯だった。
 さすがにその荷物と同時に本棚を持つのは無理だ。
 長門は、ゆったりとした動作で、リビングの方を指差した。
「まずは、あっち」
「まずは?」
「広い場所で組み立てる必要がある」
 ああ、なるほどね。
 俺はもう一度気合を入れて、本棚をリビングに運び込む。
 相変わらず殺風景なリビングには、机が一つと座布団が二枚しかない。
 長門は机と座布団を部屋の端に移動させる。これで作業するための空間が出来た。
 俺は部屋の中央に本棚を置き、長門に尋ねた。
「長門、工具はどこだ?」
「そっち」
 以前朝比奈さんと並んで寝た部屋を、長門は指差した。
 工具を探してその部屋に入った俺は、その部屋の隅に本が積まれているのに気付く。
 その上に工具はおかれていた。
「ひょっとして、この本が本棚に入れる予定の本か?」
 備え付けの棚、全てを埋めつくすような量だ。全てを本棚に収納するのは無理だろう。
 ここにある本は、その中から厳選したものなのだろう。
「そう」
 長門の返答があった。
 俺は、長門が『きちんとしまいたいと思う本』というのがどういう本なのか知りたくなって、なんとはなしに本の背表紙を見る。
 やはり分厚い本が多い。
 哲学書やら科学書やら、ジャンルは色々で、それらに統合性はないように見える。
(うわ、こんな五千円もするハードカバー、いつ買ったんだ……? ん?)
 ふと、積み上げられた本に違和感を覚えた。
 いや違和感というのは正しくない。
 詳しく言うなら、なんとなく自分が見たことのある本が多いような気がした、というべきだ。
 読んだことがある本、というわけではなくて。
 装丁とか、題名とか、大きさとか……『見たこと』がある本。
 不意に、天啓のように、その理由を悟った。


 俺が、長門にプレゼントした本が、積み上げられているのだ。


 勿論、この山の全部が全部、というわけじゃない。
 けれど、俺が長門にプレゼントした本は全部揃っていた。
 先ほど、ホームセンターで聞いた長門の言葉が脳裏に浮かんでくる。


――以前から備え付けの棚に本を収納するのは避けたいと思っていた。


 何故避けたかったのか?


――収納能力はともかく、保存状態がよくない。


 保存状態がよくないと、何故いけないのか?


――本が痛む可能性がある。


 何故、本を傷めたくなかったのか。
 まさか。
 まさかとは思う。
 読書家が本を大事にするのは当然であるし、単純に本を傷めたくなかったというのが妥当な結論だろう。
 しかし。
 ひょっとして。


 長門は、俺があげた本を、きちんと保存しておきたかったのか?


 まさか。
 それは、思いあがりと言うものだろう。
 俺のあげた本が揃っているのはただの偶然、あるいは人からプレゼントされた本を優先的に保存したかっただけなのかもしれない。
 でも。
 仮に『そう』だとしたら。
 そんな風に、優先して大事にしたいと思ってくれているのなら。


 とても、嬉しい。


 工具を持ってリビングに戻った俺を、長門はいつもの無表情で迎えた。
 その足元には、本棚の部品が広げられている。
 俺がじっと長門の顔を見詰めたので、妙に思ったのだろう、微かに長門の首が傾けられた。
 こいつの真意はわからない。
 言葉に出して質問すれば、きっと長門は答えてくれるだろう。
 しかし、俺はあえて何も言わなかった。
「さて、それじゃあ、早速組み立てるか。どれくらいかかりそうだ?」
「三十分程度」
「そうか。じゃあ、早速やろうぜ」
 長門が手に持つ説明書を覗き込み、最初に必要な部品を確かめる。
 きっかり三十分、俺と長門は力を合わせて本棚を作る作業に没頭した。




 そう、わざわざ質問して確認することじゃない。
 そんなことをしなくても――。


 完成した本棚に本を入れる長門の手付きを見れば――答えは出ているような気がしたんでね。









『大切にしたいもの』終
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