『Tears of Humanoid・Interface』
最終章




――あと、三十秒。




 扉をぶっ壊して現れた、俺が見たこともない男子生徒は無表情で俺と長門を見据えている。
 こいつがおそらく、長門我言っていた学校で待機していたヒューマノイドインターフェースなのだ。
 終わった……のか。
 こいつが情報統合思念体に『長門有希が失敗した』ということを報告してしまえば、それでお終いだ。
 長門は消され、俺はこいつに殺される。
(どうせ殺されるのなら――――)
 俺は現れた男子生徒に向かって駆け出した。
 一発でも良い。ぶん殴ってやろうと考えたからだ。


―――あと、二十五秒


 拳を固めて走る。
 しかし無謀極まりないというか、唯の馬鹿だと自分でも思っていた。
 こいつが長門と同じヒューマノイドインターフェースだというのなら、俺の拳なんて軽々と避けれる。いや、避ける必要さえない。
 情報制御とやらで俺の動きを止めればいいだけだ。
 案の定、そいつは俺の方を向いて何か早口で呟いた。
 長門で聴き慣れている。呪文とやらだ。
 すぐに俺の身体が動かなくなる。
 今度こそ、終わった。
 長門も動かない。もう動いても無駄だということがわかっているのだろう。


―――あと、二十秒。


 こいつが情報統合思念体に連絡すればすぐに消滅させられるのだから。
(……くそ……終わった)
 俺は今度こそ本気で死を意識した。
 その、瞬間。




「邪魔―――――――っっっ!!!!!」




 絶叫のような怒号を放ちながら、そいつが現れた。
 走ってきた勢いそのまま、ハルヒのジャンピングキックが部室の前の廊下に立っていた男子の側頭部に決まった。
 ほとんど抵抗無く、蹴られた男子は吹き飛ぶ。
(俺が知りようもないことだったが、その男子は涼宮ハルヒの攻撃に反応出来ていた。しかし、凉宮ハルヒは監視対象であり、危害を加えることを情報統合思念体に禁止されていた。そのため、咄嗟に抵抗出来ず、ハルヒの攻撃を喰らってしまったのだ)
 男子が吹き飛ばされたからか、俺の身体も動くようになった。
 蹴り飛ばした男子には目もくれず、ハルヒは部室の中に向かって叫ぶ。
「ジョン!?」
 ここまで全速力で来たみたいだった。額に玉の汗が浮かんでいる。
 騙していることに少々罪悪間を覚えたが、そんなことは言ってられない。
「長門!」


―――あと十五秒


 俺の言葉に素早く反応した長門が、ハルヒのすぐ傍に半秒で接近した。
 驚いたハルヒだが、長門はそれ以上に何かをさせる暇を与えない。
 いつもの呪文を唱える時の三倍くらいのスピードで唇が動く。呪文を高速で唱えているようだ。
 ハルヒは動かない。完全に硬直している。長門が情報制御しているのだろうか?
 しかし、俺はそれ以上ハルヒに気を払っていられなかった。
 ハルヒに蹴り飛ばされた男子。
 その男子が、床に倒れたまま、上半身だけを起こして、片手を真横に伸ばしたのだ。その掌に、光が結集する。
 俺はこれを知っていた。
 忘れもしない、朝倉涼子に襲われたときに、あいつが見せた『空間の槍』。
 その男子の視線は長門に向いている。
 『空間の槍』を長門に発するつもりだ。


―――あと十秒


 長門は呪文を唱えるだけで精一杯。少しでも邪魔されたら終わりだ。
 だから、俺は。




 『空間の槍』を放った男子と、長門の間に割り込んだ。




 風を切る音がした次の瞬間には、俺の肩を光る『空間の槍』が貫いていた。
 肩から流れた血が、廊下の床を紅く染める。
 いってえな、このヤロウ!
 などと叫ぶ余裕は無い。
 神経が焼き切れそうなくらいの激痛が走る。
 だが、弱音を吐くわけには、いかない。


―――あと五秒


「な、長門っ!」
 俺のことは気にするな、とにかく早く時空の改変を。
 そういう気持ちを込めて、俺は長門の名前を呼んだ。
 長門の唇は更に速度を増して、呪文を紡いでいく。
 『空間の槍』を放った男子が、俺と長門に向かって更なる『空間の槍』を放とうとしている。今度は無数に。
 やばい、これは受けきれない。つか受けたら死ぬ。
 これで、終わってしまうのか―――?
 それでも俺は長門を庇うために両腕を広げて立ち塞がる。
 来るなら……きやがれっ!
 無数の『空間の槍』が俺に向かって殺到する。







「―――情報制御完了。時空改変を開始する」







 俺の全身に槍の先端が食い込む寸前、背後で長門の声が聞えた。
 瞬間、俺の視界を白い光が覆い尽くした。
 助かったのか……?……
 ……………………
 ………………
 …………









 唐突に目が覚めた。
 目を見開いた先には見慣れた天井。
 自宅のベッドの中だった。
 鳥の鳴き声がして、その方向を見ると、窓の外が白み始めていた。
 何の変哲もない朝だ。
 変な夢を見ていた気がする。
 だが、内容は全く思い出せない。
 ふと、時計を見るとまだ午前四時だった。
 俺はもう一眠りするために、寝返りを打って目を閉じた。








「ねえねえキョン! これ見てこれ!」
 その日、俺が登校すると、後ろの席のハルヒが嬉々とした表情で俺に向かって新聞を突きつけて来た。
 何かまた変な記事でも見つけたのか?
 うんざりしながらも、俺は応える。
「何だよ?」
「ここ! この記事を見なさい!」
 ハルヒが指を突き刺しているところを見ると、あらびっくり。


『伝説の生物発見か?! 宇宙人の可能性も! NASAが発見』


 という記事が書かれていた。
 誰だ、こんなもんを記事にした奴は。
 こんなのを見たらハルヒはきっと―――
「NASAなんかに負けてられないわ! 未確認生命体は我らSOS団が最初に見つけるわよ!」
 ほら来た。
「さっそく探しに行くかなくちゃ! 今度の休み、いつもの場所にいつもより二時間早く集合! 遅れたら死刑だからね!」
 相変わらず人の事情を考えない奴だな。
 つかいつもより二時間早くって……七時かよ!?
 貴重な休日の時間が無くなることを実感して、俺は溜息を吐いた。








 一時間目が終わった後の休み時間、廊下で偶然古泉と出会った。
「おや、奇遇ですね」
 胡散臭い笑みを浮かべている。
「どうしました? 何か問題でもありましたか?」
 俺の表情を読み取ったのか、古泉はそんなことを言い出した。
 俺が朝ハルヒに言われたことを教えてやると、
「それは困りましたね。実は僕は朝に弱いんですよ」
 嘘吐け。
 嫌味が無い嫌味スマイルを浮かべて、古泉は少し困った表情になった。動作が一々嘘臭い。
 こいつは普通に笑うということを知らないのか。








 さらに二時間目が終わった休み時間、廊下で朝比奈さんと出会った。
「あ、キョンくん。奇遇ですね」
 何故朝比奈さんに言われるとこうも和むのだろうなあ。古泉に言われても何とも思わんのに。
「そうですね」
「次の時間は移動教室なの。急ぐから、じゃあね」
 あっさりと朝比奈さんは歩いていってしまった。
 日常に馴染んでいるな、朝比奈さん。
 未来から来ていて、いつかは未来に帰るなんて嘘みたいだ。ひょっとしたら、あの人自身忘れてるんじゃないだろうか?








 さて、三時間目の休み時間には偶然長門と……ということはなく、あっと言う間に放課後になってしまった。
 部室に行くと、そこにはいつもと変わらない長門の読書姿があった。
 こいつは何があってもここでこうしているんだろうなあ。
 当たり前すぎていつもはあまり気にも留めないけど、急に居なくなったらきっと大変な騒ぎになる。
 長門が居なくなるということはかなり想像しにくいけどな。
「長門」
 俺が呼びかけると、長門は読んでいた分厚い本から顔を上げて、
「なに?」
 と訊いてきた。
「ハルヒがまた変なことを思いつきやがった。次の休みは二時間早くいつもの集合場所に集合だとよ」
「そう」
 突拍子も無い話だと言うのに、長門の表情は一ミリも動かない。
 少しは驚いたり呆れたり、そういう表情を浮かべてもいいと思うけどな。
 しかしこの無表情こそ長門であるという証明みたいなもんだからそれは無理な話だろう。大体、こいつの表情豊かな顔なんて想像することすら困難だ。
 ただ、笑顔は例外だ。
 ハルヒが消えた時、あの長門が見せた微笑は、朝比奈さんの素敵画像よりも、一生覚えておきたい記憶だ。こちらの長門で見れればなおいい。そんな風に笑うことは今後あるかもしれないけど。
 ……しかし、笑顔はともかく、長門の泣き顔なんて永遠に想像の範疇外だろうな。
 長門が泣くようなことは、恐らくこれから先ない。というかあって欲しくない。


 あ、でも。


「キョン! 有希! いるっ!? 今から外に行って不思議生物を探すわよ!」
 ハルヒがドアを蹴破る勢いで現れた。背後には朝比奈産と古泉もいる。
「おい、不思議探しは今度の休みにするんじゃなかったのか?」
「何言ってんの! 一分一秒たりとも無駄には出来ないわ! こうしている間にも、誰かが不思議生物を発見しちゃうかもしれないでしょう!? 一番最初に不思議生物を発見するのは我らSOS団なの!」
 ある意味正しい理屈だが、一体誰と競っているつもりだお前は。
 こんな一高校の同好会程度の存在が国家レベルの組織に勝てるとでも思っているのだろうか。
 いや、SOS団には宇宙人・未来人・超能力者がいるから勝ってるか?
「さあ、早くいくわよ!」
 そんなどうでもいいことを考えているとハルヒが怒鳴って、それに反応した長門が、本を鞄に仕舞って立ち上がった。
 仕方なく俺も立ち上がり、さっさと歩き出してしまったハルヒの後を追いかける。
 ハルヒの後ろに古泉と朝比奈さんが二人並んでいたので、俺と長門も自然と二人で並ぶ形になる。
 俺は無表情な長門の顔を横目で見ながら、さっきの続きを想う。


 ―――嬉しさや楽しさで泣くのはいい。
 その感情でも、人は泣けるのだから。








 いつか、長門も。








『Tears of Humanoid・Interface』終
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