腕相撲




「第一回SOS団腕相撲大会の開催をここに宣言します!」
 まるで鬼の首を取ったかのように嬉しげなハルヒの声を聴きながら、俺は深々と溜め息を吐いた。
 たったの五人で大会って……全く本当に大げさなことが好きな奴だ。
 そもそものことの始まりは、もの凄く他愛ないことなんだがな…………。








 季節は冬。


 刺すような寒さに全ての生物が身を縮み込ませるしかないほど寒い日のことだ。
 我らがSOS団本部……正式には文芸部の部室だが、なにはともあれいつもの部屋で、これまたいつものメンバーはいつもの如く活動をしてるんだか暇を潰してるんだかわからない行動をしていた。
 しかし今年一番だと言う寒波の影響か、狭い部室内で五人もの人数が二酸化炭素を吐き出しているのにも関わらず、部室内の気温は凄まじく低かった。
 以前雨の日に俺が取りに行かされた電気ストーブでは何の気休めにもならない。近付いて手を翳せば少しは暖かいかなって言う程度のもんだ。
 だからハルヒがそう言うことを言い出すのは必然だったのかもしれん。




「ねえキョン。ストーブもうちょっとこっちに寄せなさいよ」
 室内にも関わらず指先がかじかんでいたのか、ネットサーフィンをしながら手を擦り会わせていたハルヒがとうとう堪えきれなくなったらしく、そんなことを言い出した。
 寄せてよ、ではなく寄せなさいよと言う辺りにハルヒの味が良く出ていると思う。
 ハルヒの味ってどんなんだよって?言わなくても分かるだろ?
「寒いのはお前だけじゃないんだから我慢しろ」
 ちなみに、いまストーブは誰からも平等な位置にある。
 皆、平等。いいことじゃないか。
 しかし、そうなると誰からも遠くなってしまい、誰も暖かくないのも事実だった。
「だから近づけないと意味ないでしょ」
 だからといって、一人が独占してもいい理由にはならないだろ。
 実際、朝比奈さんも古泉も寒そうにしている。朝比奈さんは巣穴に入り損ねたウサギのように身を震わせているし、古泉のスマイルもひきつり気味だ。
 長門は……平気そうだが、こいつは顔に出ないからな……聞いてみるか。
「長門も寒いだろ?」
 本を読んでいた長門はこちらを向き、微かに頷いた。さすがの万能宇宙人もこの寒さには敵わないとみえる。
 まあ、本当なら情報操作とかで平気でいることも出来るんだろうけど。
 それをしていないのは長門が普通の人間に近付こうとしている証拠……と考えるのは考えすぎだろうか。
 それはさておき、俺は再びハルヒの方を向いて、横暴な団長の要求を改めて却下した。
「つーわけで諦めろ、ハルヒ」
 唇を尖らせて、ハルヒは言った。
「あたしだってずっと使わせろ何て言わないわよ。順番に回していこうって言ってんの」
 ならその順番をちゃんと決めようぜ。ジャンケンででもさ。
「嫌よ、ジャンケンなんてつまんない」
 我が儘だなハルヒよ。
 ……まあ、確かにジャンケンっていうのは平凡でつまらなさすぎるか。
 しかしそうは言っても他になんかいい方法あるか?
 俺とハルヒが考え込んでいると、横から声が割り込んできた。
「それなら、腕相撲などはいかがですか?」
 いつもより胡散臭さ五割増しの笑顔で、古泉がそんなことを言い出した。
 俺はバカみたいに口を開けて古泉を見る。
「……何言ってんだ? お前」
「腕相撲などはいかがでしょうか、と」
「いやそれは聞こえたけど。腕相撲じゃ不公平だろ」
 朝比奈さんなんて最下位確実じゃないか。
「ええ。ですからその分はハンデでも付けたらよいのですよ」
 例えば両手を使ってよいとか、と古泉は言うが果たしてそれで本当にハンデになるのかどうか、甚だしく疑問だ。
 俺はそう思ったが、何故かハルヒがそれに食いつく。
「それは中々いいアイデアね! それで行きましょう!」
 かくして、冒頭の宣言となる訳である。


 ……ほんと何やってるんだろうなか、俺達。


 溜め息を吐く俺に、古泉がこっそりと耳打ちをしてきた。
 だから顔近いって!
「中々いいアイデアでしょう? やはり寒い日は人肌に触れ合うのが一番ですからね?」
「まさか古泉……それを狙ってあんなことを言ったのか?」
 変態かお前は。
「人聞きが悪いことを言わないでください。ボクはあくまでも室内で出来る勝負の方法を提供させて頂いただけです」
 どーだかな。お前が言うと本気で信頼性に欠けるぞ。
 俺のセリフに堪えた様子もなく、古泉は嫌な感じに笑った。
「『ボクは』ですけどね?」
 その言葉に何も引っ掛かりを覚えなかった俺は、自分で言うのも何だが本当に馬鹿だった。








 試合の組み合わせ自体はクジで決定することにした。
 1から5までの数字を書いた紙を引き、決めるというわけだ。
 ……もうこれでストーブを使う順番も決めたらいいんじゃないか、と俺は進言したが受け入れられる訳もなく却下された。
 組み合わせは簡単で、まず2と3、4と5がやって、それぞれで勝った通しと負けた同士がやる。
 そして、勝った者同士で更に勝った奴が、最後に1とやる訳だ。
 つまり1を引けば勝とうが負けようが一番か二番になる訳で、かなりズル過ぎないかと俺は進言したが、やはり聞き入れられず却下された。
 果たして、出来上がった組み合わせを発表しよう。
 第一試合は、俺と長門。
 第二試合は、古泉と朝比奈さん。
 そしてある意味一番相応しいハルヒがシード権を獲得した。
 まあ妥当なところか……?
「凉宮さんがシードとは意外ですね」
 そうか? そこは妥当なとこじゃないか?
「果たしてそうでしょうか?」
 何だ古泉。何が言いたい?
 含みがありすぎてよくわからんぞ。
「気にしないでください」
 気になるっつーの。
「さっきから二人で何こそこそ喋ってんの! 古泉くんはともかく、キョンじゃ暑苦しいだけでやおい臭は皆無よ!」
 暑苦しいと言われてこんなに嬉しいかったことは、いまだかつてないな……。
「結構絵になってたような気がしますが……意外に需要があるのでは?」
 一瞬、俺と古泉が仲良さげに顔を突き合わせている絵が脳裏に浮かんだ。
 気色悪いこと言うなっ!
「いえ、何故かリアルにそう言う絵が蔓延しているのが目に浮かぶようです。しかし、その場合どちらが攻めになるのでしょうか……興味深いですね」
「古泉……いい加減にしないと本気で怒るぞ?」
 半ば本気で言った俺の言葉に古泉は降参するかのように諸手を挙げた。
「冗談ですよ」
 本気であってたまるか、バカ野郎。
「はいはい! 二人ともくっちゃべってないでさっさと準備する! まずは一組目! キョンと有希!」
 相手は長門か……実際長門本来の力ってどのくらいなんだろうな……?
 長門はハイスペックな宇宙人だが、あの超人的な動きの数々は間違いなく情報操作によるものである筈だ。
 しかしマラソン大会ではハルヒに続いて二位、と言う好成績をあげていることから、元々の身体能力も決して低くは無い筈である。 むしろハルヒと競えるのだから、相当高いのではないだろうか。
 ……まあ、やってみたらわかることだよな。
 とはいえ、相手が長門であろうとも、男としては負けたくないところだ。ハルヒは規格外の馬鹿力だから例外だが。
「…………」
 色々と考えている俺に対して、長門はと言えば全く読めないポーカーフェイスで立っている。
 ポーカーじゃないんだから、無表情でも有利になったりはしないぞ長門。
「お手柔らかに頼む」
 長門の力がハルヒ並みだった時のことを考え、俺はそう釘を刺して置いた。
 全力でやられたら腕の骨が折れかねない。
 長門は俺の懸念を理解したのかどうかは知らないが、微かに頷いた。
 俺と長門は机を挟んで座り、机の上で腕相撲の構えを取る。
 普段こんな風にじっくり手を握り合うことなどないため、長門の手がやはり女の子らしく柔らかいことに新鮮な心地になった。
 が、その考えが親父臭い気がして、極力考えないように努めた。
 長門はやはりポーカーフェイスで、何も感じていないように見える。
「それじゃあ早速始めるわよーっ! よーい……」
 相手が誰であろうと、そう掛け声がかかると自然に気合いが入ってしまうのは人間の性と言う奴だろう。
「はじめっ!」
 まずは軽く様子見のつもりで、三分の一くらいの力を込めてみた。
 微かにも動かない。
 やはりこの程度ではダメかと思い、半分くらいの力を込めた。
 微かにも動かない。
 冷や汗を流しながら今度はほぼ全力を込めた。
 微かにも動かない。
「ちょっとキョン! 力込めてるの?!」
 ほぼ全力込めてるよ。
 脇から飛んできたハルヒの野次に心中で答えつつ、俺は微動すらしない長門を見た。無表情な長門には耐えている、と言う様子は見えない。
 めちゃくちゃ自然体だ。
 腕はまるで石で出来ているかのようにぴくりとも動かない。
―――不意に急激な力が働いて、俺はあっさりと敗北した。
 負けたことが意識できないほど、自然に倒されたので、悔しいとか恥ずかしいという感覚は無かった。
 半ば呆然としつつ、俺は長門に向けて尋ねる。
「……どこにそんな力があるんだ?」
「腕」
 そりゃそうだ。
「これは意外な展開ですね。長門さんならありかとも思いますが」
 勝手なことをいう古泉は無視しておいた。
「まあ有希だからね……それより、二人とも、いつまで手を繋いでいるつもりなのかしら?」
 そのハルヒのセリフに俺はいまだに長門と手を繋いでいることに気付く。
 少し慌てて手を離した。ちなみに長門は何のリアクションも取らない。
 頼むからそんな、『なんであなたがそんなに慌てるのかわからない』と、いうような顔をするのはやめてくれ……。
 俺は敗北した悔しさはその時点では感じていなかった。
 なにせ長門に関しては敵わないと言うことが多すぎるからな。
 腕相撲とはいえ正直勝てるとは思ってなかったさ。
 長門が意外に負けず嫌いってのは承知してるし。
 等々、負けた言い訳みたいなことをつらつら考えている中、古泉と朝比奈さんの試合は始まっており、両手を使っている朝比奈さんは顔を真っ赤にして全力を振り絞っている。
 しかし古泉が「あの……力入れてますよね?」と呟いていることから、やはり朝比奈さんには両手を使っても不利に過ぎたようだ。
 可哀相に、朝比奈さん。









 さて。
 簡単にその後のことを語ろう。
 結局、古泉は朝比奈さんに花を持たせた。
 明らかに朝比奈さんが不利なゲームの言い出しっぺだったしな。
 とにかく勝ち上がった朝比奈さんは、長門と対戦し、あっさり負けた。
 まあ、長門にわざと負けるとか、そう言う気遣いを期待するのは筋違いだし、順当なところだろう。
 ちなみに誰も興味がないだろうが、負けた者同士で俺は小泉とやり、俺は勝った。
 そして最後のハルヒvs長門の、『色んな意味での頂上決戦』は、三分にも及ぶ激闘をハルヒが制し、ハルヒはまんまとストーブ使用の一番目を得た。
 全くやれやれだぜ。




 まんまと勝ち取ったストーブでハルヒがぬくぬくと暖まっているのを横目で見ながら、古泉が俺に向けて話し掛けてきた。
「しかし、面白い結果に終わりましたね」
 そうか?
 長門とはいえ、女子に負けたと言う敗北感が今更ながらボディーブローみたいに徐々に効いてきた俺には、面白いと言えないんだが。
「それにしても、そもそも何故あのような組み合わせになったのでしょうね?」
 偶然だろ。
「この世に偶然なんかない。全ては必然だ、とは誰のお言葉だったでしょうね?」
 知るか。なんだそれは。漫画か何かか?
「まあそれはともかく、凉宮さんが望むとしたら、あなたとの対戦でしょう」
 なんでだよ。俺とあいつは積年のライバルでも何でもないぞ。
「おや、大会が始まる前に僕が言ったことは忘れてしまわれましたか?」
 ……なんのことだよ。
「ちなみに僕が朝比奈さんに花を持たせたのはその辺りの事情も関係しているのですが。『凉宮さんだけ』という状況は避けたかったですので」
 訳が分からん。
「申し訳ありませんが一から丁重に説明するつもりはありませんよ。ご自分で答えに辿り着くことを望みます」
 説明好きだったら最後まで説明してくれよ。途中で放り出すな。
「説明するべき時はちゃんと計らなければなりませんから。なんでもかんでも説明すればいいというものではないと僕は思うのですよ」
 ……なんなんだよ、本当に。




 結局、単純明快な筈のゲームの裏に隠された各々の思惑を、俺が察することは無かった。








『腕相撲』終
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