失いたくない




 雨が降っている。




 ハルヒのきまぐれによりSOS団の活動は唐突に無くなった。
 一体全体何を考えているのか全く理解出来ないのはいつものことだが、ハルヒの奴が五時間目が始まる前に早退したことについては全く背筋が震えるほど嫌な予感がする。
 何かまた悪巧みでもしてるんじゃないんだろうな。いや、していない筈が無い。さっさと帰れるのは嬉しい限りだが、明日以降何かが待っていると考えれば手放しで喜ぶわけにもいかない。
 とはいえ、ハルヒが何を企んでいるのかわからない以上、あえて何も考えないのが精神のためにもいいだろう。さっさと帰ろうとしたところ、外を見るとかなり雨が降っていた。
 天気予報では今日は快晴と言っていたはずだが…………五時間目の間は晴れてたのに。
 何もこのタイミングで雨を降らさなくてもいいだろう? 神様? いや、古泉曰くハルヒがその神様みたいなもんだったか? あいつは俺たちに何か恨みでもあるのか?
 などと心底どうでもいいことを考えながら、俺は傘を一本手に取った。
 置き傘があって良かった。
 これで置き傘が無かったら濡れて帰らなければならなかったところだ。
 下駄箱置き場で靴を履き替えて外に出たら、玄関の脇で長門が空を見上げていた。
 その手に傘はない。
 俺は無表情に空を見上げている黒曜石のような瞳を見ながら、声をかけた。
「長門、傘ないのか?」
 長門はゆっくりとした動きで俺の方を見て、ミリ単位で頷いた。
「俺の傘に入っていいぞ。この傘、でかいからさ」
 傘を広げながら俺はそう提案する。
 普通に二人で入っても少し余裕はある。加えて長門は小柄だから、十分過ぎるくらいだ。
 俺の提案に長門は暫く考えていた。
 暫くして、長門はまた微かに頷き、傘の中に入ってくる。
「じゃあ、行くか。鞄、濡れないか?」
 長門は鞄を俺の側とは反対側の手で持っている。その位置だと濡れてしまうかもしれない。そう思った。
 俺の言葉を聞いた長門は、一瞬持ち替えようとして手が動きかけたが、すぐに止まった。
「だいじょうぶ」
 小さな声でそういう長門。
 そうか。ならいいんだが。
 俺と長門は所謂『相合傘』という形で、帰路に着いた。








 長門とは会話が成立しにくいのはいつものことである。
「雨って嫌だよな」
「…………」
「そういえば不思議に思ってたんだけど、お前はお金とかどうしてるんだ?」
「…………」
「ハルヒは何を企んでいるんだろうな」
「…………」
 こんな感じだ。
 傘の下、俺ばかりが話している状態が続く。
 でも、別に不快ではなく、こういうのも悪くないと思えた。
 長門は必要最低限のことしか喋らない。それが長門の魅力であり、その持ち味が変わってしまったら、妙な気分になるんだ。きっと。
 ハルヒみたいに笑顔で喋くりまくる奴になったら…………それはそれでちょっと見てみたい気もするけどな。
 そんなことを考えている間も、雨は止まない。
 どころか、勢いを増している気がする。傘を叩く雨音が、会話に支障を来たすほどだ。
「しかし妙な天気だな。今日は快晴って言ってたのに」
「天気予報は、百パーセントの結果を保証するものではない」
 うおう。今まで沈黙を守っていたかと思ったら、返事を期待していない言葉に応えが返ってきた。
「それは、わかってるけどさ…………あんまり急な天気の変わり方だから妙だなってことだ」
「局地的な環境情報の改竄は、惑星の生態系に後遺症を与える危険性がある」
 それ、確か前にも聞いたな。
「わかってるよ。長門が天気を変えるわけないだろ。理由もないしな」
「…………」
 また沈黙しちまった。
 何だろうね、長門にもきまぐれという奴があるのだろうか?
 会話のネタも無くなって、俺と長門は沈黙したまま雨の中を歩く。


 唐突に、雷が落ちた。


 それもかなりでかいやつだ。物凄い音がして、俺はかなりびっくりした。
 音に驚いて、思わず立ち止まってしまったほどだ。
 光は見えなかったけど、かなり近くに落ちたんじゃないかと思いつつ、止まっていた足を踏み出した。
 その時。
 ふんわりと、俺の服に力が加わった。
 俺が自分の体に視線を落とすと、着ているブレザーの裾を、細くて白い指が掴んでいた。
 当たり前だが、指の主は長門だ。雷が鳴った時に、俺が立ち止まった位置で立ち止まっている。
「長門?」
 止まっている長門に声をかけると、長門は歩き出した。
 だが、長門の手はまだ俺のブレザーの裾を摘まんでいる。
 またゴロゴロと雷が鳴り出した。
 すると長門がだんだん俺に近づいてきた。
 まさか、怖いのだろうか?
 俺は自分の考えに思わず苦笑した。
 まさか。
 朝倉涼子とあの異次元バトルを繰り広げたこの長門が、一般的な自然現象でしかない『雷』を恐れる?
 そんなことがある筈も無い。
 だから、俺が口にしたのは軽口のつもりだった。
「長門、ひょっとして怖いのか?」
 声には笑いが滲んでいたと思う。そんなことは有り得ないと思っていたからだ。
 だが、


「怖れている」


 長門から帰ってきた答えは、俺の目を限界以上に見開かせるに十分なものだった。
「…………はい?」
 思わず間抜けな声が出たが仕方ないことだろう。
 長門が、あの長門が、雷程度を怖れている?
「ちょ、ちょっと待て長門。怖れているって…………まじか?」
 長門は微かに頷いた。
 本当なのか。
 長門が嘘を吐くとは思えない。だとすれば、本当に長門は雷が怖いということになる。
 俺があまりに予想外のことに、目を見開いていると、長門は静かに話し始めた。
「雷という放電現象は、とても危険。雷の直撃を受けた有機生命体はほぼ間違いなく死に至る。側電でも十分殺傷能力はある」
 側電…………確か、すぐ傍の物体に雷が落ちた時に、その周りの物質まで電撃を受ける、とかいう奴だっけ?
 長門は変わらない口調で。
「無論、雷は高い位相に落ちる確率が高い。この付近には避雷針がある建造物も多数存在するので、路を歩いている我々が直撃を受ける確立は、限りなく零に近い」
 だけど、と長門は続ける。
「たとえそれが〇.〇〇〇〇〇〇〇一パーセントであったとしても、直撃を受ける可能性は決して零には成らない」
 だから、と長門。
「わたしは雷を怖れる」
 俺は長門の説明を聞いて笑いたくなった。


――物凄く、可愛い。


 理屈はわかる。確かに長門の言うとおり直撃を受ける可能性は決して零じゃない。
 だけど、そんな心配をしているということ自体が可愛い。
 俺はどうしようもなく微笑んでしまう自分の頬を、長門から見えないようにする。
 いくら長門でも心配しているのに笑われたら、気を悪くするのではないかと思ったのだ。


――ところが、暫くして長門が続けた言葉は、俺の予想を超えていた。


「わたしが雷を怖れるのは、その即死性にある。怪我なら、どんな怪我でも治せると確信しているが、死は変えられない」
 そうなのか。まあ、何でも出来るっていうんなら、そもそもハルヒを監視する必要も無いんだろうしな。
 あれ? でも朝倉はお前が改変した後の世界で生き返ってなかったか?
「朝倉涼子はインターフェース。涼宮ハルヒの力でなくても、我々の力を使えば復活させることも出来る。それをしていないのは、朝倉涼子というインターフェースでは、再び暴走する可能性があるから」
 朝倉とお前を同じみたいに扱うのは嫌だが、それなら、たとえお前が死んでも、情報統合思念体はお前を復活させてくれるんじゃないのか?
 俺の問いに、長門は微かに首を傾げた。
 何か、重要な齟齬が俺と長門の間にあるようだ。
 暫くして、傾げた首を元の角度に戻した。そして、『理解した』とでもいいたげに頷いた。


「わたしが怖れているのはわたし自身が死ぬことではなく、あなたが死ぬこと」


 長門は淡々と。
「わたしは、仮に雷の直撃を受けても死なない。情報制御により、瞬時に雷撃を受け流すことが出来るから。でもあなたは違う」
 袖を握り締めている長門の指先に、若干力が込められたように思えた。
「仮にわたしがすぐ傍にいても、雷の直撃を受けて即死されては、わたしでも対処出来ない。それが怖い」
 俯いた長門は、最後にぽつりと付け加えた。
「あなたを失うかもしれない。その可能性を、わたしは怖れている」
 ああ、そうか。
 やっぱり、お前は…………。
 可愛いなあオイ。って、オヤジ化してるよ、俺。
 慌てて首を左右に振り、変な気持ちを吹き飛ばす。傘と鞄で両手が塞がっていて良かった。じゃなけりゃ頭くらいは撫でていたかもしれない。
「長門」
「なに?」
「ありがとよ」
「…………」
 長門は沈黙してしまった。
 空では相変わらずゴロゴロと雷が鳴っている。
 長門は相変わらず俺の裾を摘まんでいる。
 一つ傘の下、俺と長門は静かに歩を進める。




 俺は少しでもこの時間を引き延ばすために歩調を落とした。
 相変わらず、雨が降っている。








『失いたくない』終


補足
 この小説は、かつて『空之彼方』というサイトで受けたキリ番リクエストで書いた小説です。
 題名:『雨の中で』・ヒット:3500・ゲッター:オズ様


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