喜緑江美里。
長門と同じ、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース。
ある意味、長門よりも読めない人。
にこにこと微笑んでいる時が多いが、その微笑の裏に何かあると思わず考えてしまう。
生徒会の会計として、時々会長と共にSOS団にちょっかいを出す役どころ。
しかし、俺とは実質上の関わりはほとんどなく、たまに関わり合いになる時も、どちらかが誰かの補佐みたいになっている。
俺は長門の、喜緑さんは会長の、補佐をしている時が多い。
ともかく、俺と喜緑さん自身同士にはほとんど関わりがないわけだ。
……そのはずだ。
「それなのに、何で俺達は恋人みたいに喫茶店でお茶してるんでしょうか……?」
俺がそう尋ねると、目の前の席に座る喜緑さんは、いつものにこにことした微笑みを浮かべたまま答えた。
「あら……不服ですか?」
「いえ、不服とかそういうわけではなくてですね…………」
「なら、いいではありませんか。先輩として、ここの代金はわたしがお支払いしますから安心してください。SOS団の活動で所持金が常に危機に陥っているのでしょう?」
「それは助かる……じゃなくて! じ、自分の分は自分で払いますよ」
さすがに奢って貰うのはきまずいのでそう言ったが、喜緑さんはにっこりと笑う。
「先輩の顔を立てて、奢られてください」
その笑みの後ろに何か怖いものがあるように思ってしまうのは俺が悪いのだろうか……。
俺は頷くしかなかった。
そもそも、何でこんな状況になっているのかと言うと、話は少し前に遡る。
そもそもの原因は、胡散臭い笑みを浮かべる我がSOS団副団長だ。
今日の放課後。
用事があって遅れているハルヒ以外のSOS団全員が揃っている部室で。
ボードゲームで対戦中、古泉が突然こんなことを言ってきた。
「――ところで、あなたにお願いがあるのですが」
俺はその言葉を聞いた瞬間、言葉を返していた。
「却下だ」
「早すぎますよ?」
古泉は少し困ったような笑顔を浮かべた。
つまり表情の胡散臭さが増した、ということだ。
「お前から頼みごとなんて嫌な予感がしすぎるんだよ」
「そう難しい話ではないのですが」
「断る」
「そうですか……そこまで嫌がるなら仕方ありませんね」
素直に諦めるような表情を見せる。
こいつにしてはいやにあっさりと引き下がったな……と俺が思っていると。
古泉はある人物に向けて、わざとらしく手でメガホンを作った。
「な――――」
「待て」
俺は古泉の肩を掴んで呼びかけを中止させた。
「なんでしょうか」
いい笑顔を浮かべやがった……。
激しく腹立たしいが、仕方無い。
「俺がダメなら、なんであいつなんだ」
「頼みごと、というのはあの人に関わりがあることですので」
「どういうことだ」
「おや、引き受けてくれるのですか?」
こいつ……自分で誘導したくせに……。
「わかったわかった」
お前の頼みを聴いてやるのはすごく腹立たしいが、あいつの負担を減少させてやれるのなら仕方無い。
あいつには色々借りもあることだしな……少しでも負担を減少させてやるべきだろう。
「それでは詳しい話をさせていただきます」
「さっさと言え」
「言葉になんだか棘がありますね」
「針を込めているつもりだ」
「――まあいいでしょう。お頼みしたいことですが……」
爽やかな笑顔で、古泉は一枚のメモを差し出してくる。
俺がそれを受け取って、書いてある文字を見ると、そこには店の名前らしきものが書かれていた。
メモには場所もきちんと示されていたから、その喫茶店には苦も無く辿り着くことができた。
「しかし、行けばわかるってなんなんだ……?」
結局、古泉の奴は何をすればいいのか教えてくれなかった。
行けばわかる、としか言わず、俺はここに来て何をすればいいのかもわからないままに、とりあえず来てみたわけだ。
(大体、あいつに関わりのあることってどんなことだよ…………訳が分からねえ)
俺はとりあえず、その喫茶店を観察してみることにした。
「いたって普通の喫茶店だよな……」
特に妙な趣味の店であるわけでもなく、変わったサービスがあるようにも見えず。
感覚としては、いつも不思議探索の時に使っている喫茶店に近いだろうか。
どんな組み合わせで入ってもおかしくない。
友達同士でも家族でも恋人でも兄弟でも姉妹でもグループでもOK、って感じだ。
(古泉の奴、なに考えてるんだ?)
とりあえず、中に入ってみることにする。
実のところ、不思議探索の時にごっそり金が奪われるので、無駄な金を使いたくは無かったが、その他にどうすればいいのかわからないのだから仕方無い。
俺は店の中に入った。
内装も至って普通だ。何か変わったものがあるようには見えない。
喫茶店の中を見渡していると、不意にある一点に眼が引き寄せられた。
(ん……? あれ、うちの制服……?)
同じ学校の生徒らしい人が俺に背を向けて座っていた。
向かい合って座るタイプの、二人掛けの席に独りで座っている。
(誰かを待っている……? それとも、相手はいるけどトイレか何かで席を離れてるのか?)
何気なくそう思った。
(ん……? なんかあの後姿……見覚えがあるような……)
そう俺が思うのとほぼ同時。
その制服の主がゆっくりと振り返った。
思わず俺は息を呑む。
「き、喜緑さん?」
生徒会会計、喜緑江美里。
SOS団の長門有希と同じく、ヒューマノイド・インターフェースらしい存在。
喜緑さんは、俺を認めるとにこにことした微笑をその端正な顔に浮かべた。
「ご無沙汰しています」
……そして冒頭のシーンに戻るわけだ。
「いや、ほんと、一体なんで俺はあなたとこうして御茶してるんでしょう……」
「やっぱり不服ですか?」
「いえ、ですから不服というわけではなく……」
正直、理由がわからない。
「せめて、なんでまたわざわざ古泉を通してまで、俺とお茶をしようと思った理由を教えてくれません?」
「あら、別にお茶をしようと思ったわけではないですよ?」
にこにこ笑顔でそんなことをいう喜緑さん。
…………なんつーか。
慣れてないからか、この喜緑さんのテンションに順応できないんだが……。
喜緑さんは相変わらずのにこにこ笑顔で。
「お茶じゃなくても、カラオケでも良かったですし、何処かに買い物に行くのでも良かったですし、レクリエーション施設に行くのでも良かったですし、なんなら本屋や図書館でもよかったんです」
喜緑さんは、俺の眼をまっすぐ見詰めてきた。
「あなたと一緒であれば、何処でも」
「…………」
俺は長門みたいに沈黙した。
ええと、これは一体どういうわけだ?
俺と一緒であれば何処でも……って。
なんつーか、これが恋人同士ならばすげえ惚気文句を聞かされた気がするんだが……。
だが、勿論俺とこの人が恋人同士であるわけがない。
正直困惑するだけで訳が分からないんだが……。
「何か飲みますか?」
俺の困惑など意に介さない様子で、喜緑さんはメニューを広げて見せてくる。
いや、放置ですか。
俺が恨みがましい眼を向けると、喜緑さんはやれやれ、というような溜息を吐いた。
俺が悪いのか?
「仕方ありませんね……ご説明いたしましょう。簡単に言えば、確認です」
「確認?」
「はい。確かめておきたかったんです。あなたのことを」
何の確認なんだ……?
まさか、何かまずいことが俺の知らない間に起こっていて、その影響がどうなっているかの確認とか……?
俺は唾を飲み込み、次なる喜緑さんの言葉を待つ。
喜緑さんはいつものにこにこ笑顔を浮かべて、口を――。
「……あら」
急に喜緑さんが俺から眼を逸らした。
思わず俺が喜緑さんが眼を逸らした先を見ると。
「…………」
そこにもう一人のヒューマノイド・インターフェースがいた。
いつの間にそこにいたのか、俺の真横に立っている。
勿論、もう一人のヒューマノイド・インターフェースとは朝倉涼子ではなく。
長門有希だった。
いつもの無表情で、いつもの棒立ちの姿勢で。
ただ、いつもより無感動な瞳が喜緑さんを見ている。
「な、長門?」
なんでここに。
「…………」
「…………」
俺の驚きを余所に、二人の宇宙人はいつぞやのように黙ったまま見詰め合っている。
……おーい。俺、放置ですか。
以前の時は話している奴らが別にいたけど、今回、俺は一人で放置されたまま。
「……二人とも、頼むから口に出して意志の疎通をしてくれ」
俺が及び腰になりながらもそう二人に呼びかけると、喜緑さんはこちらの方を向いた。
長門は喜緑さんの方を向いたままだ。
「うふふ。それでは私はこれで……」
微笑ながら、喜緑さんは急にそんなことを言った。
「は?」
呆然とする俺の前で、立ち上がる喜緑さん。
代わりに長門をその席に座らせ、自分はさっさと店から出て行こうとする。
「ちょ、待ってください」
俺は思わず喜緑さんの手を掴んで、引き止めた。
「あら、積極的ですね」
「そんな冗談はいいですから! 説明してくださいよ!!」
「大丈夫です。もう終わりましたから」
「何が!?」
「あなたがこんなに積極的だとは思いませんでしたが――」
「いや、俺、何もしてないですよ!?」
「責任はちゃんと取ってくださいね」
「何の話ですか!? ちゃんと説明してください!」
あまりに俺が悲痛な叫び声を上げたからか、喜緑さんは仕方ありませんねえ、という顔になった。
「私にも役割がありますから」
役割?
確か、古泉によると喜緑さんは長門の監視者とか言ってたような……?
それと俺と御茶することに何の関係があるんだ?
「それでは失礼します」
するり、と喜緑さんは俺の手をすり抜けて(比喩ではなくマジで)、さっさと出て行ってしまった。
…………。
なんだったんだ、一体……。
俺は気を取り直して、向かいに座った長門に向き直った。
「なあ、長門。あの人、結局何がしたかったんだ?」
「…………」
長門は言葉を探すように長い間沈黙し――。
「観察と確認、及び判断」
とだけ呟いた。
だから何のだよ、と俺は思ったが、それ以上は何も話してはくれなかった。
心無しか、長門の機嫌が物凄く悪く感じられたのは俺の気のせいだろうか……。
仕方なく、俺はご機嫌取りにアプリコットを長門に奢った。
また財布が軽くなったが、背に腹は変えられないと言うしな。
それにしても――喜緑さんは、何がしたかったんだ?
結局、喜緑さんの真意が明らかにされることは無かった。
『わたしが、させない』終
↓ 下に上の話の『補足』があります。
自分で書いておいてなんですが、わかりにくいと思ったので。
【補足】
喫茶店から出た喜緑江美里は、そっと後ろを振り返った。
店の中では、自分と同じ存在長門有希と【鍵】であるあの人が向かい合って、微妙に気まずい雰囲気になっていた。
それを店の外から感じた喜緑江美里は、微かにその顔に苦笑を浮かべた。
「……全く、仕方無い人です。興味深いですけどね」
「用事は済みましたか?」
喜緑江美里は突然声をかけられたが、特に驚くこともなく、その声の主を振り返った。
「ええ。セッティングしてくださったこと、感謝します」
古泉一樹。
いつも特定の相手に胡散臭いと呼ばれる笑みを浮かべて、そこに立っていた。
「いえいえ。お役に立てたのなら、光栄です。ところで、ある程度の予測はついていますが、なんの目的があったのか訊いてもよろしいですか?」
「構いません。……彼は、長門有希というインターフェースに対して影響を与えすぎています。また年末のようなことにならないとも限りません」
「だから、貴女は長門さんの監視者として、彼の与える影響が好ましいものかどうか……いえ、許容できるものかどうか、確かめたかった」
「素晴らしい推理です。ほとんど正解と言っておきましょう。それにしても……」
「なんでしょうか?」
「このことは他言無用とお願いしたはずですが、何故長門さんがここに来たのですか?」
「ああ、それは簡単なことですよ。長門さんが自主的に彼を追いかけたのです。止めることなど、僕には無理でした」
「そうですか。それではそういうことにしておきましょう」
傍目から見れば、それは友好的な笑顔を浮かべた男女の会話であった。
しかし、内実はそれほど和やかなものではない。
例えるなら、それは相手の腹のうちの探りあい。
隠し持った白刃を相手の喉元に突き付け合うような。
そんな殺伐とした空気が根底に流れている。
その空気を緩和するかのように、喜緑江美里が言葉を重ねた。
「今回の私の目的は一つでした。長門有希がまた暴走しないようにすること」
古泉一樹は暫く黙っていたが、不意に呟いた。
「……貴女は、長門さんが処分されて欲しくなかったのですね」
また以前のように暴走することがあれば、きっと情報統合思念体は長門有希というインターフェースを処分するだろう。
そして、暴走する原因は間違いなくあの彼という存在。
だから、喜緑江美里はあの【彼】と一対一で確認しておきたかった。
このまま長門有希に影響を与え続けさせておいていいものかどうか。
古泉一樹のその想像がどこまで合っているかはわからない。
「私は情報統合思念体に生み出された対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースです。情報統合思念体の意志は絶対ですよ」
喜緑江美里は明確な答えを返さなかった。
ただ、いつものにこにこ笑顔で、その手に隠していたものを古泉一樹に晒す。
――それは、折り畳まれたジャックナイフ。
「ただ、これを使わずにすんだことは、良かったといえるでしょうね」
相変わらず読めない笑顔で言った喜緑江美里は、古泉一樹に背を向け、振り向くことなく歩き去った。
後に残された古泉一樹は、珍しくいつも浮かべている笑みを消した真剣な表情で、去り行く喜緑江美里の背中を見ていた。
「喜緑江美里さん……例え、貴女が彼を危険と判断したとしても、彼は絶対に消させませんよ」
なぜなら。
「貴女が、長門さんが処分されて欲しくないのと同じように――」
僕も、彼にいなくなって欲しくないのですから。
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