涼宮ハルヒの消失
〜長門視点〜

第三章




「いてくれたか…………」


 その人は、そんなことを言った。
 それを言葉として認識して、わたしは驚きで混乱した頭で何とか思考する。
 いてくれたか?
 どういうことだろう。
 まるで、知り合いに会いに来たような口調だ。
 それも、わたしがここにいることを知っていて、そこに訪ねてきたような。
 その人は後ろ手にドアを閉め、ゆっくりとわたしが片隅に座るテーブルに近づいて来た。
「長門」
 その人は逸る心を抑えているような声で、わたしの名前を呼んだ。
 わたしは反射的に言葉を返す。
「なに?」
 本当に、何しに来たのだろうか。
 わたしを訪ねに来たのは間違いないようだけど、この半年間、何も無かったのに。
 幾つもの疑問符が頭の上に浮かぶ。
 その人は、わたしに向かって。
「教えてくれ。お前は俺を知っているか?」
 わたしは暫く唇を結び、眼鏡のツルを押さえて沈黙する。
 全く状況が分からない。
 とにかく、正直に答えるべきだろう、とわたしは結論付けた。
「知っている」
 途端、その人は安心したような雰囲気を醸し出した。表情は分からない。何故なら、わたしは視線をその人の胸辺りに合わせていたから。
 わたしは人の目を見て話すことが苦手。
 どうしても俯きがちになってしまうので、必然的にその人の胸辺りに視線がいってしまう。
「実は俺もお前のことなりとも知っているんだ。言わせてもらっていいか?」
 何だろう。この展開は。わたしが読んだ小説の中には、こんな展開は…………何を言うつもりなんだろう。
 わたしは黙ってその人の次の言葉を待つ。
「お前は人間ではなく、宇宙人に造られた生体アンドロイドだ。魔法みたいな――――」




 え?




 あまりに理解不能な言葉が出てきて、一時的に思考活動を完全に停止した。
 あっけに取られて目と口を開いて、その人の肩口辺りに視線をさまよわせてしまう。
 視線が肩口辺りをさまよったのは、その人の顔を見ようとして、失敗したからだったのだが、その人はどう思ったのか、延々と続けようとしていただろう理解不能な言葉を止めた。
「…………それが俺の知っているお前だ。違ったか?」
 その人はそう問いかけて来る。
「ごめんなさい」
 そう言うしかない。そんな設定は私には無い。
 そうであったらいいな、とかそんな風に考えたことはあったが、私は結局唯の一般人。
「わたしは知らない。あなたが五組の生徒であるのは知っている。時折見かけたから。でもそれ以上のことをわたしは知らない。わたしはここでは、初めてあなたと会話する」
 前半は事実を言わなかった。
 五組の生徒であることは知っているし、見かけたのも嘘じゃない。


 でも、それは偶然ではなく探したからだ。


 図書館でわたしを助けてくれたその人を、探したから五組の生徒であることを知っていたのだ。
 見かけただけでは、正確に彼が五組の生徒であることは分からない。
 そして後半には少し希望を込めた。
 わざとらしく『ここでは初めて』と言ったのは、『ここ』以外 では会話したことがあるという意味だ。
 しかし、その隠された意味に彼は気付かなかったようだ。忘れてしまっているのだろうか。
 わたしが少しがっかりしていると、その人は再度口を開いた。
「…………てことは、お前は宇宙人じゃないのか? 涼宮ハルヒという名前に何でもいい、覚えはないか?」
 思わず「宇宙人」と呟き、首を傾げる。わたしがそんな存在であるはずがない。
 そして涼宮ハルヒという名前にも、全く心当たりは無かった。
「ない」
 この言葉は宇宙人ではない、という意味と、凉宮ハルヒの名前に覚えがない、という二重の意味を込めた。
 その意味は的確に伝わったようだ。その人は焦ったように、
「待ってくれ。そんなはずはないんだ」
 今まで焦っていたようだが、何とか表面上は冷静さを保っていたのかもしれない。
 その人はテーブルを迂回して、わたしの傍に近づいてくる。
 思わずわたしは手に持っていた本を閉じ、椅子から立ち上がってその人から距離を取った。
 と、逃げることを封じるように、その人の手がわたしの肩を掴んだ。
 近距離に迫ってきたその人の顔から、わたしは顔を背け、震える足を徐々に下げる。
 逃げられない。すぐに背中が壁に接し、肩を掴まれているために横に逃げることも叶わない。
「思い出し――――今日と昨日で世界が変わっ――――の代わりに――――」
(なに、何なの…………っ!?)
 その人は再び訳のわからないことをまくし立て始めた。
 男子生徒に肩を掴まれているという恐怖に、頭の中が真っ白になってその言葉の半分も理解できない。
 怖い。
 見ず知らず、というわけではないにしろ、良く知りもしない男子生徒に迫られるなんて。
 それも訳のわからないことを喋られながら。
 わたしの身体は寒さに震えるかのように震え出した。怖い。
「やめて…………」
 何か畳み掛けるように喋っていたその人の声が止んだ時に、わたしは精一杯の勇気を振り絞ってそういった。
 …………馬鹿。やめてと言われてやめる人がどこにいる。ましてや、少し異常なことを話している人が。
 だけど幸いなことに、その暗い予想は外れた。
「すまなかった」
 その人は、そう言ってわたしの肩から手を放して、ホールドアップの姿勢まで取った。
「狼藉を働くつもりはないんだ。確認したいことがあっただけで…………」
 ふらふらとその人は近くにあったパイプ椅子(わたしがさっきまで座っていた椅子だ)に腰を下ろした。
 わたしは壁にくっついたまま動けない。
 その人は部室の中を軽く見回した後、頭を抱えて動かなくなった。
 一体どうしたというんだろう。
 まるで、何か知っている物を探してそれが叶わなかったような雰囲気だった。


 暫くの間、わたしもその人も動けなかった。









第四章に続く
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