涼宮ハルヒの消失
〜長門視点〜

第四章




 わたしは壁際から離れることも出来ずに、ずっとその人を凝視していた。


 五分ほどして、その人はようやく気を取り直したように、ゆっくりと顔を上げる。
 視線は合わなかったけど、どうやらその人もわたしを見ているようだ。
 その人は何かを言いかけ、口ごもり、それから、
「すまん」
 とだけ言って椅子から立ち上がった。
 そのまま帰ってしまうのかと思ったけど、その人は畳んで置いてあったパイプ椅子を持ち、部室の中央へ移動した。
 そこで椅子を広げてそれに座り、再び頭を抱えた。
(一連の行動の理由が、その時のわたしにはわからなかったけど、良く考えてみたら、立ったままでいたわたしを気遣ってくれたのかもしれない。…………思い上がりだろうか)
 わたしは、頭を抱えるその人を更に凝視する。
 自分の記憶と照らし合わせて、確かにあの時図書館で手を貸してくれた人であることを、何度も、何度も確かめる。
 やはり、この人だった。
 この人が、あの図書館でわたしに声をかけてくれた人。
 しかし、一体何故今更になって訪ねてきたのだろうか?
 そして、涼宮ハルヒというのは誰のことだろう?
 わたしは、いまだ迫られた時の動揺で頬が熱いことを自覚しながら考え続けた。
 この人は、一体、何故、どうして、何が、何で、ここにいるのだろう?
 答えは出ない。
 でも、この人はここにいる。
 ひょっとすると、これは最初で最後の機会なんじゃないだろうか?
 わたしのことをこの人が覚えているのかどうかはわからない。
 誰かを助けたことは覚えていても、それがわたしのことだと思っていないだけかもしれない。
 これは、自分から人に関われない自分が、変われるかもしれない唯一の機会なのかもしれない。
 とそこまで考えた時、何か小さく呟いていたその人が、わたしの方に目を向けた。
 わたしは思わず視線を下に逃がしてしまう。
 ああ、馬鹿。逃げるから駄目だとわかっているのに。
 視界の端に映るその人は、ゆっくりとした動作で立ち上がった。
「長門」
 また名前を呼ばれる。そういえば、何でこの人はわたしの名前を知っているんだろうと思った。
 確かに図書館でカードを作ってもらった時に名乗ったけど…………やっぱり覚えている?
「それ、ちょっといじらせてもらっていいか?」
 そう言ってその人が指差しているのは、パソコンだった。
 わたしは少し焦った。
 視線をその人とパソコンを往復させ、考える。
 そのパソコンには、あまり人に見られたくない内容のモノがある。特に、この人には。
 でも、引っ込み思案なわたしに断るという選択肢は無い。
 意を決して、大きく息を吸い込む。
「待ってて」
 これだけ言うにも疲れる自分が嫌になりつつ、わたしは椅子をパソコンの前まで持っていく。
 パソコンの電源スイッチを入れてから、その椅子に座った。
 完全にパソコンが立ち上がったことを確認すると、わたしは見られたくないファイルを消したり移動したりして、その人に見られてもいいようにパソコンの内部を整えていく。
 パソコン内を整え終えると、わたしはその場を動かず待っていたその人に声をかけた。
「どうぞ」
 出来れば顔を見て言いたかったけど、どうしても顔を見れない。
「悪いな」
 そう言いながらパソコンの前に座るその人。
 わたしは壁際に移動して、その人の動向を監視する。
 もしも隠したファイルが見つかりそうになったら、電源コードを引き抜く覚悟だった。
 パソコンが壊れるかもしれないけど、そんなことには構っていられない。
 しかし、その心配は杞憂だったようだった。
 その人は、
「…………ねえか」
 そう呟いて席から立ち上がった。
「邪魔したな」
 気落ちしたような様子で、その人は部室を去ろうとする。
 去ろうとしているとわかった瞬間、焦燥が胸を焦がした。
 このまま帰ってしまったら、この人は二度とこの部室に来ないかもしれない。
 何か、何かで関係を繋がないと。
 思わず口を開いていた。
「待って」
 …………何も考えてないのに!
 更に焦る。とにかく本棚に近づいて、関係を繋ぐ何かを探す。
 と、『それ』が本棚の隙間に入っているのが見えた。
 わたしは咄嗟に『それ』を引っ張り出し、『それ』を持ってその人の目の前に立った。
「よかったら」
 その人の首あたり、ネクタイの結び目あたりを見ながら、わたしは『それ』をその人に差し出す。
「持っていって」
 その人の驚く顔が視界の端に見えた。




 わたしが差し出した『それ』は、白紙の入部届け。










第五章に続く
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