御礼




 ある日の放課後、俺は長門と街中を歩いていた。
 学校帰りのため、長門も俺も制服のままだ。
 ……何で特別の日でもないのに、長門と一緒に街中を歩いているのかというと、話は簡単である。
 学校でのことだ。




 自分の教室でこいつの姿を見るとは思わなかった。
 谷口と国木田と一緒に昼飯を食っていた俺の目の前にやって来たそいつは、いつも通りの無表情だった。
 無表情に知り合いは一人しかいない。
 長門有希。
 目の前に立っている長門を見ながら、俺は何の用だろうと長門が口を開くのを待っていた。
 ちなみにハルヒはどこかに行ってしまっていて、谷口と国木田は突然長門が目の前に現れたことに困惑しているようだ。
 そんな些事には勿論構わず、長門は俺に向けて口を開く。
「あなたに頼みがある」
 何だ?
 お前が頼みごとなんて珍しいな。
「今日の帰り道、わたしに付いてきて欲しい」
 何故だ?
「理由はその時に説明する。同行してくれるかどうか、訊きたい」
 考えたのは一瞬以下。即答する。
「いいぜ」
「ありがとう」
 淡々と長門は言い、教室から去っていった。




 これが、教室での出来事だ。
 長門が去った後、好奇心の塊となった谷口と国木田に延々問い詰められたが、些事もいいところなので省略。
 その後の授業やSOS団の活動時間は、これもまた些事もいいところなので―――というか長門の用件というのが何なのか気になってぼんやりとしているうちに過ぎていた。
 そして下校時刻になって、俺と長門は街中を二人で歩いている。
 まだ長門の目的はわかっていない。
 長門と一緒に歩いているだけで俺としては嬉しいわけだが。
 とはいえいつまでもどこに向かっているかさえわからないでは不安になってくる。とりあえず尋ねてみることにした。
「長門」
 俺が呼びかけると、即座に長門は俺を振り仰ぐ。
 小さな唇が動いて、言葉を発した。
「なに?」
「そろそろ何の用事か話してくれてもいいんじゃないか?」
 長門は少し考える素振りを見せ、それから軽く頷いた。了承ということか。
 果たして長門は言った。


「あなたを晩ご飯に招待したい」


 …………えーと、それは一体全体どうしてだ。
 あえて言っておこう。嫌だったわけではない。むしろ歓喜していた。でも呼ばれる理由が思いつかなかった。
「お礼」
 何のだよ?
「先日、雨の日の」
 まさかあの雨の日に傘に入れたことか?別にお礼なんて要らないのに…………。
 俺は思わずそう呟いたが、長門は固い意思が窺える瞳を俺に向け、言った。
「わたしが、したい」
 …………そうとまで言われてしまえば、俺に拒否する理由は無い。
「喜んで、招待されるよ」
 どんな料理を食わせてくれるのか楽しみに思いつつ、俺はそう応えた。
 長門は再び視線を前方に戻して、
「そう」
 と、呟いた。
 その横顔が少し嬉しそうに見えたのは、目の錯覚ではないと思う。

 スーパーに入った長門は、迷いの無い足取りでスーパーの中を歩く。時々棚に手を伸ばし、手に持った買い物籠に食材を放り込んでいく。
 レジのところで気付いたが、長門はいつもはコンビニしか利用していない筈だった。なのに、スーパーの間取り図も見ずに無駄なく歩いていたのは何故だろう。
「長門、ここに来たことあるのか?」
 不思議に思って訪ねると、少し間があって長門は答えた。
「ある」
 へえ。毎日惣菜とかコンビニ弁当ばっかり食ってるわけじゃなかったのか。ちゃんと料理もしてるのか?
 思ったことを口にすると、長門は首を横に振った。
「普段はしない。ここで買い物をするのは始めて」
 どういう意味だ? 以前来た時は買い物はせずに帰った、ということだろうか。
 …………それともまさか。
 この日のために、下見に来ていたのか?
 心中で抱いた俺の疑問には気付かず、大量に食料を買い込んだ長門はそれを持って店外に出ようとする。
「ちょっと待った長門」
 俺は長門を呼び止めた。
 長門は俺の方に向き直り、首を傾げる。
「なに?」
「荷物、片方持つよ」
 長門ならトラックでも持ち上げれそうだが、それとこれとは話が別である。女の子に重そうな荷物を持たせては男の名折れというものだ。
 俺が手を差し出すと長門は意外にすんなり、どちらかといえば重そうな方の荷物を渡してきた。
 平気、とか大丈夫、とか言って断られそうな気がしていたので、少し意外だった。
 しかし、
「おも…………っ?!」
 荷物を持った途端、肩が抜けそうなくらいの重さが肩に一気にかかった。
 おま、こ、こんな重いものを二つも持ってたのか!?
「情報制御。わたしの手に持った物体の重量は十分の一に縮小される」
 さりげなく日常生活にもトンデモ能力を使っているんだな、オイ。
 とはいえ、弱音を吐く訳にもいくまい。
「じゃ、じゃあ行くか」
 何とか笑顔を作り、(引き攣っていたかもしれんが)俺は長門を促して歩き出した。







 や、やっと着いた。
 長門の部屋までようやく辿り着いた俺は荷物を下ろして抜けそうになっていた肩をぐるぐる回した。とりあえず肩関節に異常は無さそうだ。
「大丈夫?」
 長門が小首を傾げながら尋ねて来る。
 いや、ちょっと、その仕草、やばいくらいに可愛いんですけど。
「だ、大丈夫大丈夫」
 心配されていることを少し情けなく思いつつ、俺は答えた。
 長門は頷き、材料などを持って台所に入っていった。
「待ってて」
 と一言残して。
 どんな料理をごちそうしてくれるのかはわからないが、長門の手料理ならばほとんど間違いはあるまい。朝比奈さんだと少しドジしそうだし、ハルヒはわざと変な物を作り出しそうだ。
 その点、長門は決してドジは踏まないだろうし、わざと変な物を作り出すこともない。
 だから俺は安心して長門の料理を待っていた。




「お待たせ」
 淡々とした声と一緒に、長門が台所から出て来た。
 手にはカレー皿。…………カレー?
「ひょっとして、長門。カレー好きなのか?」
「…………美味しい」
 長門にしてははっきりとした意思表示だと思う。少なくとも嫌いではないようだ。
 レトルトではない長門お手製カレーはどんな味なのだろうか。
 テーブルに並べられたカレーは、旨そうな匂いを放っている。
 きちんと手を合わせ(拝んでいるわけじゃないぞ)俺は早速頂くことにする。
 一口食べた感想は…………まあ、何だ。俺はカレーを出す一流レストランなんぞに入ったことなどないが、そこで出ていてもおかしくない位の味だった、と言っておこう。
 いわゆる筆舌に尽くしがたい味だったのだ。
「旨いな、これ」
 俺が陳腐だがこれ以上ない感想を言うと、
「そう」
 と長門は呟いて、満足そうだった。無表情だが、それがはっきりとわかるくらいに。
 そんなに旨いと言われたことが嬉しいんだろうか?
 長門が出す料理の常として、やたらと量が多かったが、そんなことが気にならないくらい食が進んで、あっと言う間に三人前弱くらいあったものを平らげてしまった。
「ごちそーさん」
 そういうと、長門はすかさずお茶を俺の前に差し出してくる。
 準備良いな、さすが長門。
「ありがとよ」
 俺の礼に軽く頷くことで答えた長門は、再びスプーンを持ってカレーに取り掛かり始めた。…………ん?
「おい、長門」
 やけに食べるのにかかっている時間が長くないか?
 長門はハルヒと互角に物を食える奴である。正直、男の古泉や俺よりも食事スピードは速いはずだ。
「どこか、調子でも悪いのか?」
「特に身体に異常は見られない。たまたま」
 長門に限ってたまたまということはないと思うが…………まあ、異常が無いならいいか。
 長門はそれから数分で食べ終わり、俺と同じようにお茶を飲んだ。
 俺は携帯を取り出して時間を確認する。そろそろ帰った方がいいかもしれない。
 と、長門がお茶のおかわりを入れてくれた。
 俺はそれを飲む。
 空になると、また長門はそれにお茶を注いでくれた。
 ふと、ここに初めて来た時のことを思い出した。
 そういえば、初めてここに来た時もこうだったな。
 何杯も長門が差し出すお茶を飲み、それからあの宇宙語りを聴いたのだ。
 もう随分前の話になるなあ。
 あれから随分時間も経ち、一緒に色んなことをして、長門の表情の変化も読み取れるようになってきた。
 長門自身も、色んなことを経験して、変わってきたかのように思う。
 俺が長門に向ける感情もまた、あの時から変化している。
 それがどういう感情なのか、まだはっきりと断言は出来ないが…………。


 もう暫く帰りたくないな、と思った。








『御礼』終


補足
 この小説は、かつて『空之彼方』というサイトで受けたキリ番リクエストで書いた小説です。
 題名:『御礼』・ヒット:22000・ゲッター:ゴーストQ様


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