『Tears of Humanoid・Interface』
第一章




――今思えば、あの時から異変は始まっていたのかもしれない。




 いつも通りの退屈な授業を終え、放課後、いつも通りに部室に向かった。
 ハルヒの奴は授業が終わってすぐ、どっか行っちまったが……何をしにいったのやら。
 部室に向かう道中で、古泉と出会った。
 古泉は爽やか人畜無害スマイル(三割増し)を浮かべながら、歩く俺の隣に並ぶ。
「どうも、あなたもこれから部室に向かうのですか?」
 それにしても、最近こいつの人畜無害スマイルが強化されているというか……掴みどころのない笑みじゃなくなって来たな。
 どこか、普通に笑っているというか……いいことでもあったのか?
 古泉はやはりどこか自然な笑みを浮かべて、言う。
「おや、やはりそう見えますか?」
 自覚があったのか。
「実はですね……」
 そう言ってから、古泉は軽く周囲を見渡した。
 誰も周りにいないことを確認してから、古泉は改めて話し始める。
「最近、全くといっていいほど閉鎖空間が発生していないのですよ。凉宮さんの精神が更なる落ち着きを見せている確たる証拠です」
 ほう。
「ここ最近は、悪夢も見てないようですね。いいことです」
 確かに、あの胸クソ悪くなる灰色空間が発生しないってことはいいことだな。
 俺がそう呟くと古泉は、嫌味な笑みを浮かべた。
「おや、あなたは凉宮さんが悪夢を見ないということについては何の感想もないのですか?」
 ……まあ、それもいいことではあるけどな。




 部室に着いた俺と古泉は、懐かしいメイド衣装に着替えた朝比奈さんと、いつもと変わらない長門の読書姿に迎えられた。
「あ、キョンくん、古泉くん」
 相変わらず愛くるしい笑顔で迎えてくれる。全く安らぐね。
「凉宮さんはまだ来ていないのですか?」
 俺が朝比奈さんを見て目の保養をしていると、古泉が横から朝比奈さんに向けてそう質問した。
 朝比奈さんはこくりと頷いて、
「ええ。まだみたい。さっき廊下を走っているのを見たから、そろそろ来るんじゃないかしら?」
 まあ、あいつは来なくてもいい。心の平穏をもう少しばかり楽しみたい。
 古泉。久々にオセロ勝負でもするか?
 俺がそう提案すると、古泉は苦笑して首を横に振った。
「オセロでは僕に勝ち目がないですからね。バッグギャラモンでもしませんか?」
 なんだそりゃ。ルールがわからんし、どうせ下らんゲームだろ。
 ……よし、じゃあ単純明快、ババ抜きでもしようぜ。
 完全な運勝負だからお前にも勝つチャンスが在る筈だ。
「僕を気遣ってくださるのはありがたいのですが……運勝負でも勝てない気がするのは何故でしょう?」
 さあな。俺の悪運がクソ強いからじゃないか。




 古泉が想像した通り、ババ抜きでも古泉は俺に勝てなかった。
「何故でしょう……? 確率的見地から言っても、二人だけのババ抜きで連戦連敗は有り得ない筈なのですが……」
 知るか。んなもん。
 俺は朝比奈さんが入れてくれたお茶を呑みながら、古泉がトランプを混ぜるのを見ていた。
 ちなみに、長門はずっと変わらない姿勢のままで読書中、朝比奈さんは自分の分のお茶を入れて和んでいる。
 俺と古泉がババ抜き四戦目に入ろうとした時(少々古泉も意地になっているみたいだ)、
 部室のドアが勢い良く開かれた。
「いやーごめんごめん!遅れた!」
 来なくてもいい奴がやって来た。
 ハルヒは奇妙にご機嫌で、極上スマイル。
 やな予感がする……はずだったのだが。
 この日は、ハルヒが極上スマイルを浮かべているにも関わらず、何故か嫌な予感はしなかった。
 あれ? おかしいな。
 ハルヒが極上スマイルを浮かべたら、俺が苦労する……つまりハルヒが変なことを思い浮かべたという証拠だったはずなのだが。
 そして俺はそれを感じて嫌な予感を覚えるはずだが。
 何だか、逆に気味が悪いな。
 俺が気味悪がっていることも構わず、ハルヒは俺と古泉の手元を覗き込んだ。
「何? ババ抜きやってんの?」
 ああ、そうだが。何か文句があるのか?
 俺がそう言うと、ハルヒは別に文句なんかないわよ、と信じられないことを言った。
 どうしたハルヒー?
 なんつーか、らしくない気がするのだが。
「私はいつもどおりよ。それより、二人でババ抜きもつまんないでしょ。私も混ぜなさい」
 この発言に、古泉が唖然とした顔をした。
 多分、俺も似たり寄ったりの顔をしているのだろう。
 あのハルヒが、ババ抜きなんていう単純で退屈なゲームに参加しようとするとは。
 合宿の時とかの特殊な条件下でもない、普通の放課後に。
 こりゃ、明日辺り雨かもな。
 いや、雨ならいいが、突発的な嵐とか大地震とかが起こるんじゃないか?
「何よキョン。その不満そうな顔は。いいから混ぜなさい」
 ……この顔は唖然としていると言うべきだろうが……まあいい。混ぜてやらない理由はない。
 朝比奈さんも入りますか?
 お茶を飲んで和んでいるとこ邪魔して申し訳ないが。
 そう尋ねかけると、朝比奈さんはこくりと頷いた。
「ババ抜きですかー。合宿の時、以来ですねー」
 そして俺は、どうせならってことで部屋の隅で分厚い本を読んでいる長門にも水を向けた。
「長門、お前も入るか?」
 長門は、全く視線を本から上げなかった。
 待つこと数秒、長門の唇が動く。


「話し掛けないで」


 ある意味、ハルヒがババ抜きに混ぜろと言ったときよりも遥かに上の衝撃が部室内に走った。
 まさか、長門がここまで明確に拒否するとは。
 古泉も、朝比奈さんも、ハルヒでさえ、呆然として長門を見ている。
 長門はSOS団全員の視線を浴びながら、手元の本だけを見ていた。心無しか、その横顔に不機嫌そうな表情が浮かんでいるような……いや、この表情は……何かに、耐えている?
 衝撃から一番早く立ち直ったのは、古泉だった。
「よ、余程面白い本を読んでいらっしゃるようですね。邪魔をするのも忍びないですし、僕達だけでやりましょう」
 その古泉の言葉に、朝比奈さんとハルヒはそれぞれ硬いながらも同意の首肯を返していた。
 だが、俺はまだ固まっている。
 長門から、あそこまで強烈な拒絶の言葉を貰ったのは、初めてだったからだ。話し掛けても何も応えないことはあったが、まさか「話し掛けないで」と言われるとは、それこそまさに『夢にも』思っていなかった。
 固まってしまって動けない俺に、朝比奈さんが声をかけてくれた。
「あ、あの、キョンくん……?」
 その言葉で、俺は何とか彼方に飛んでいた意識を引っ張り戻すことが出来た。
 あ、ああ、すいません。そうですね。
 面白い本を読んでいるんじゃ仕方ない、ですよね。
 半ば、自分自身に言い聞かせているような口調になってしまった。
 古泉は何故か同情するような顔を俺に向けていて、ハルヒはもう割り切ったようで、
「早く始めましょうよ」
 などと言っている。
 正直、そのハルヒの言葉がありがたかった。










第二章に続く
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