『Tears of Humanoid・Interface』
第三章




 朝比奈さんに事前のお別れを言われた次の日、俺は教室で信じられないモノを見た。
 朝のホームルームが始まる前、ハルヒはすでに教室に来ていたのだが、そのハルヒが他のクラスメイトと話をしていたのである。
 百ワット笑顔とまではいかず、精々が二十ワットくらいだろうが確かに笑みを浮かべて。
 ……おいおい、ついに普通の人間と話すようになったのか。
 ほんとに普通の人間になっちまうんだな、と俺は妙なところで納得した。
 やがてホームルームが始まりそうな時間帯になり、ハルヒは話していた女子生徒達から離れて俺の席の後ろにやって来た。
「何を話してたんだ?」
 俺が興味を持って訊くと、ハルヒは相変わらずの機嫌の良さそうな笑みを浮かべて答える。
「別に。ドラマとか人気の歌とか……ちょっと興味があったから訊いて見ただけ」
 そりゃ相手もさぞ驚いたことだろう。
 北高一の変人が突然普通の会話に入ってきたらな。
「別に普通に教えてくれたわよ。変な顔なんてしてなかったけど」
 大した抵抗も無く受け入られたようで良かったな。
 俺はハルヒが変わっていくのを改めて実感した。
 もう入学した当初のような突拍子もないことを言うことも無いのか、と本当に自分勝手だが残念に思ってしまう。
 変で妙なことに巻き込まれないってことは、歓迎するべきことなんだがな。








 あっと言う間に時間は過ぎて、昼休みとなった。
 ハルヒは朝話していた女子生徒のところに行って、一緒に弁当を食べるのだという。
 何だろうね。この異常なまでの平凡さは。
 まさかこれこそ誰かの攻撃か? もしくは世界が知らない間に変質してしまっているんじゃないだろうな?
 とか思ったが、それはきっと俺の願望だ。
 変なことを望んでいるのはハルヒだけじゃなく、俺も同じだったのかも知れないな。
 弁当を食い終わった俺は、教室から出てある場所に向かう。
 ちょっと確かめて置きたいことがあった。
 最近、ある意味でハルヒ以上に妙な動きを見せていた奴の元に。
 現実が変質していないかどうかを確かめたかった。
 あいつならきっとコンマ数秒もかけずに答えてくれるさ。
 あのSOS団の誇る万能選手なら。








 部室の前までやって来た俺は、軽くノックをして長門の返答を待つ。
 だが、部屋の中からは何の反応も返って来なかった。この場合の反応、とは別に声とかじゃなく、気配というのかなんというのか少々説明しにくいのだが、長門が「こちらに注意を向けた」みたいな感覚の話だ。そんなのを感じられる自分がどうかと思わなくもないが……。
「……?」
 なんだいないのか、と思いつつ、俺はドアノブを握る。
 鍵は開いていた。
 ということは、誰かが空けたということだ。では、何故返答が無い?
「長門?」
 俺は呟きつつ、ドアを開いて中に入る。
 中には、誰の影も無かった。
 いつも長門が座っている椅子の上にも。
 部室の中には隠れるような場所は無い。いや、ロッカーがあったか。念のためにロッカーも開けてみたが――当然誰もいなかった。
「おかしいな、昨日鍵をかけ忘れたのか?」
 そういえば、昨日最後に部室を出たのは俺だ。思えば鍵をかけ忘れていた気もする。
 いや、だけどおかしい。
 鍵を掛け忘れたとしても確か夜校舎を巡回する用務員がちゃんと閉めて回る筈だ。
 そしてこの部室の鍵を握るのは長門。
 つまり長門が来なければここの鍵は開かない筈である。
 俺は何気なく長門がいつも座っている椅子に近づく。
「……ん?」
 そして俺は気付いた。
 長門がいつも座っていた場所に、一冊のハードカバーの本が落ちていた。
 ページを開いた形で。
 それはまるで、その本を開いて読んでいた存在が突然消えてしまって、その本がそのまま床に落ちたようだった。
 自分の思考に、俺は首を傾げた。
「え?」
 消えた? 誰が?
 決まっている。
 長門有希が?
 いや、そんな筈はない。ない筈だ。
 馬鹿げた考えだ。長門が消えるなんて有り得ない。あいつが消えるなんて。
 きっと、トイレにでも行っているのさ。
 もしくは、突然用事が出来たとか。
 無理矢理自分自身を納得させて、安心しようとした。
 瞬間、ハルヒの機嫌の良さそうな笑顔が、普通の奴らと話して笑っていた顔が浮かんだ。


 まさか。


 ハルヒが普通の人間になったから?
 だから、監視員であり観測者である長門は、必要無くなったから?
 情報統合思念体が、必要無くなった対人間用ヒューマノイド・インターフェースを、消した?
 頭がくらくらした。世界が揺れている。




 長門が、消えた?




 開いていた部室の窓から風が舞い込み、床に落ちている本のページを捲った。








第四章に続く
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