『Tears of Humanoid・Interface』
第五章




 俺が部室に着いた時、長門有希は窓辺に立って窓の外を眺めていた。
 短い髪が、窓から吹き込む風に揺れている。
 ノックも無しに開けたドアを後ろ手に閉め、振り返らない長門の後姿に向かって声をかけた。
「長門」
 声に反応してゆっくりと長門が振り向く。
 無機質な硝子のように、どこまでも涼やかな瞳が俺に焦点を結んだ。
 俺はいつもと変わらない長門の顔を、何だか随分久しぶりに見る気がした。
 思わず微笑を浮かべながら、続けて尋ねる。
「あんな紙で呼び出したりして……何の用だ?」
 こいつもハルヒのことで何か話があるのだろうか。
 古泉や朝比奈さんからは、すでに聴いてるしな。
 ……思えば、ハルヒに関することが始まった時、始めに正体を明かしてくれたのが長門。二番目が朝比奈さん。そして最後に古泉だった。
 ハルヒに関することが終わるかもしれないということを、始めに話したのが古泉で、次が朝比奈さん。
 そして最後に長門とくるなら、何か妙な逆符合だな。
 まあ、そんな下らないことはどうでもいい。
 今の問題は長門の用件だ。
 長門が口を開くのを待つ。
 長い、本当に長い時間が経ってから、長門が口を開いた。
「涼宮ハルヒのこと」
「やっぱりか」
 思わず声を出したが、
「黙って」
 有無を言わさず、俺は黙らされた。
 何だか、昨日から俺に対する言葉がキツい気がするな。気のせいか?
 長門は俺を見ながら、
「すでに古泉一樹、朝比奈みくるから情報を得ていると思われるが、涼宮ハルヒの力は日を増すごとに加速度的に弱まっている。わたしが観測していた情報フレアも、最近では全く見られなくなった」
 長門は淡々と、
「凉宮ハルヒの興味対象も、すでに異常な事象ではなく、通常の事象に移動している。もう凉宮ハルヒは不可思議な現象に興味を持っていないと思われる」
 長門は窓辺から離れ、俺の方に一歩近づいて、
「涼宮ハルヒは情報統合思念体にとって、進化の可能性と成り得る存在。その凉宮ハルヒの一般人化は、情報統合思念体にとって、あまり有意義とは言えない」
 長門は右手をゆっくりスカートのポケットの中に入れて、
「情報統合思念体はこれまで傍観する選択肢を選んでいた。情報統合思念体の意識の大部分がそう考えていたから。わたしを創造した意識もそう」
 長門がポケットから出した右手には、何の変哲も無いシャーペンが握られていた。
「でも、ここ最近は情報統合思念体の他の意識の考えが台頭して来た。涼宮ハルヒがこのまま一般人化してしまえば、それは進化の可能性が失われることに等しいという考え。その考えに情報統合思念体の意識の内、傍観の考えを持っていた意識が賛同した。それは、今まで傍観を決めていた情報統合思念体の意識の大部分に相当する」
 と、長門の口が素早く何かを呟く。
 俺は咄嗟に後ろのドアノブを掴んだ。しかし、まるで石になってしまったかのようにドアノブはピクリとも動かなくなっている。
 背筋を嫌な予感が這い上がる。
「おい、な」
「黙って、と言ったはず」
 長門は俺の言葉を封じ、自分の言葉を更に続ける。
「情報統合思念体の意識の大部分が、現状維持ではいけないと判断を下した。何か変化をもたらさなければならない。けれど、すでに涼宮ハルヒの興味対象は、不可思議な現象からは離れている。超常現象を目の当たりにしたとしても、再び情報フレアが起こる可能性は低いと情報統合思念体は判断した」
 俺は話を聴きながら、部屋の中央におかえれたテーブルを盾にするような形に移動する。
「……つまり、どういうことだ」
「情報統合思念体は、涼宮ハルヒが劇的な変化を望む事態を発生させることが重要だと結論付けた」
 と、盾にしていた長テーブルが、以前教室で朝倉良子に襲われた時のように、自動的に俺と長門の間から動いた。
 俺と長門の間に、遮る物は何も無くなる。
「その事態を発生させるのは、とても簡単」
 長門が握っていたシャーペンが、瞬く間にアーミーナイフに変化する。




「あなたを殺す」




 長門の握るナイフが、まっすぐ俺に突きつけられた。
 煌めく銀の光が俺を射抜く。
「待て、長門……」
「あなたを殺せば、涼宮ハルヒは必ずあなたが死んだ世界を否定する。まだ涼宮ハルヒの能力は完全に消えていない。きっかけさえあれば再び能力が力を増すはず」
「待ってくれ」
「待たない。あなたを殺すことは、すでに情報統合思念体が決定付けたこと。覆すことは出来ない。この部室の情報封鎖と空間閉鎖はすでに完了している。古泉一樹の一派も、朝比奈みくるの一派も、情報統合思念体の別の意識体に属するわたしの同類も、わたしの行動を遮ることは出来ない」
 俺は長門から距離を置こうと後ずさるが、狭い部室だ。すぐに壁際に到達してしまった。
 逃げ道を探して目を彷徨わせる俺に対し、長門はゆっくりと間合いを詰めてくる。
「本気か……? 長門」
 俺はそう長門に問いかけた。
 長門はゆっくりと頷く。
「情報統合思念体の決定にわたしは従わなければならない。わたしは情報統合思念体の決定に従ってあなたを抹殺する」
 くそ、本気だ。
 観念しかけた俺の耳に、長門の呟く声が聴こえた。
「それに……わたしのこともある」
 その声に、妙な響きが含まれていることに気づいた。
「どういうことだ」
 俺の問いかけに、長門はゆっくりと答える。
「わたしの内部に蓄積しているエラーデータの解析が終了した。その原因、データ自身のことは相変わらず不明。けれど、その発生状況に奇妙な法則があることがわかった」
「どういう法則だ」
 俺はとにかく時間を引き延ばすために話を続けさせようとする。
 それが助かることに繋がるのかどうかはわからないが、何もしないよりいいはずだ。
 俺の意図に気付いているのかそれとも気づいていないのか、長門は相変わらず淡々と続ける。
「エラーデータの発生はわたしが一人でいる時にはほとんど無い。教室にいる時も登校中にも無い。エラーデータの発生状況はSOS団の活動をしている時に集中している。……そしてエラーデータの実に約八割が、あなたと行動している時に発生している」
 え?
 それって……お前のバクの原因は、俺ってことなのか?
「そう。そう結論がついた」
 ちょっと待てよ。それってどういうことだ。
 確かエラーデータって奴は、俺が考えるに『感情』って奴だった筈だ。
 こいつは無感情状態が基本だったから、急に出来た『感情』に対応し切れなくてあの冬の世界改変に踏み切った。
 そのエラーデータの主な原因が俺?
「あなたを排除すれば、わたしのエラーデータの発生も抑えられる。あなたを抹殺するのにはその理由もある。それは抹殺を決行するのに充分すぎるほどの理由。だからわたしはあなたを殺す」
 何か、おかしい。
 長門の言葉は段々早口になっている。
 まるで、今からすることに対して言い訳してるみたいな……?
「長門、待つんだ。頼むから待ってくれ」
 殺されてやるわけにはいかない。
 長門が俺を殺せば、とてもまずいことになる気がする。
 俺自身殺されたくは無いが何より長門に俺を殺させてはいけない。何故か、そう強く思った。
 だが、俺の想いとは裏腹に長門は静かに宣告する。
「……待つことは無理。あなたを殺すことは、決定された、こと」
 言葉の終わりと同時に、長門が突進して来た。
 俺は本能的にナイフの軌道から身体を逃がす。
 仰け反ってナイフを避けたが、身体のバランスを崩して転倒してしまった。
 後頭部を床に強打する。
(――いてえっ!!)
 電撃のように走った痛みに、俺の全身が一瞬硬直する――――と、一瞬じゃなかった。
 情報制御とかいう奴だ。俺の身体は指先一つ動かなくなっていた。
 朝倉が俺にやった時と全く同じ。
 俺は、視線を天井に固定したまま、声も出せずに固まっていた。
「……これで……終わり」
 腹部に僅かな圧迫感。固定された視線に長門の顔と、振り上げられたナイフが見えた。
 長門は俺の腹に乗っかっていた。振り上げたナイフはまっすぐ俺の首筋を狙っている。
 絶体絶命だ。朝倉の時は長門が助けてくれたけど、いま襲い掛かってきているのはその長門なのだ。
 長門、止めろ! 止めるんだ!
 俺は声も出せず、心の中で絶叫する。
 長門はそれ以上何も言わず、唯、意を決した顔でナイフを握る手を振り下ろす。




 そのナイフが首筋に触れる――――寸前で、止まった。




 呆気に取られていた俺の胸に、ぽたりと何かが落ちた。
 ……長門が、涙を流していた。
 変わらない無表情で、無感動な視線のまま、静かに涙を流し続けていた。
 透明な涙は白い長門の頬を伝って流れて、顎先から水滴状となって溢れ、落下している。




 俺は動けない。
 長門も動かない。
 お互いが動かない中、長門の涙だけが静かに流れ続けていた。










第六章に続く
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