『Tears of Humanoid・Interface』
第六章




 涙が、長門の涙が、ぽつりぽつりと落ちてくる。
 俺は動けず、長門も動かない。
 数分が経過した頃だっただろうか。
 長門の唇が痙攣するかのように小さく動き始めた。
「……………………ERRORDETA検出ERROR身体制御ERROR失敗ERRO
RERRORERROR失敗ERRORERRORERRORERRORERRORERRORERRORER
RORERROR修正ERRORERRORERRORERRORERRORERRORERRORERROR
ERRORERRORERRORERROR失敗ERRORERRORERRORERRORERRORERR
ORERRORERRORERROR修ERRORERRORERRORERRORERRORERRORERR
ORERRORERRORERRORERRORERRORERRORERROR失敗ERRORERRORE
RRORERRORERRORERROR修正ERRORERRORERRORERRORERRORERRO
RERRORERRORERRORERRORERRORERRORERRORERRORERROR失敗ER
RORERRORERRORERRORERRORERROR修正ERRORERRORERRORERROR
ERRORERRORERRORERRORERRORERRORERRORERRORERRORERRORE
RRORERRORERRORERRORERRORERRORERRORERRORERRORERRORER
RORERROR」
 まるで壊れた機械のような、無機質な声だった。
 いつもの長門の無感動さとは違う、明らかに機械の発するような壊れた音。
 瞳は確かにこちらを向いているのに、硝子玉になってしまったかのように瞳に生気が感じられない。
 俺は半ば呆然として長門を見ていたが、不意に身体の自由が戻っていることに気付いた。
「……長門っ!」
 俺は、涙を流しながら同じ言葉を延々と繰り返す長門の肩を掴んだ。
 それでも、長門の唇から流れ出る音は止まらない。
「ERRORERRORERROR失敗ERRORERRORERRORERRORERRORERROR修正
ERRORERRORERRORERROR失敗ERRORERRORERRORERRORERRORERROR
修正ERRORERRORERRORERROR…………」
「長門ッ!」
 俺は可能な限りの大声で怒鳴った。
 ぴたりと長門の声が止む。
 長門はそこで初めて俺の存在に気付いた、とでも言いたげな視線を俺に向けた。
 生気の無い瞳に、少しだけ生気が戻った気がする。
 俺は腕を伸ばしてそんな長門を抱き締めた。
 長門は大人しく、というよりも無気力状態でされるがままだ。
 俺は床に倒れたまま、長門を強く抱きしめた。ナイフは脱力した長門の指から落ちて、脇に転がっていく。
「やめてくれ、長門。殺されたってかまやしないけど、俺を殺したらお前が壊れちまう気がする」
 ……勿論、殺されたくないって言うのも、正直に言えばあるさ。
 でも、そんなことよりお前が壊れちまうほうが嫌だ。
 大体、何でお前がそんなに苦しまなきゃいけないんだ?
 俺は死んでまでお前に迷惑はかけたくないぜ。
「…………」
 長門は黙っている。
「何か他に方法は無いのか? お前が苦しまないですむ方法は」
 それで俺も生き残れたら、それが最良だが俺のことは二の次だ。
「なあ、長門。どんな方法でもいい。何か、無いのか?」
 俺は強い想いを込めて、長門を抱きしめた。
 長門は、ゆっくりと瞬きをする。
 その瞳にまた涙が溢れた。
 俺の肩口に長門の涙がぽたりと落ちた。
 やはり、無いのか?
 そんな都合のいい方法なんて。
 だが、諦めはしない。
 自分のために。そして何より、長門のために。
 俺はぐずった妹にやってやる時みたいに、抱きしめた長門の背中を擦った。
 長門は無表情のまま、涙を流し続けている。
 この涙、絶対に止めてやる。情報統合思念体?
 上等だ。
 長門を泣かせやがって。覚悟して貰うぜ。








 数分後、長門は俺の腕の中から抜け出て、ゆっくりと立ち上がり、そのまま俺から離れるように後退した。
 完全に自由になった俺も、立ち上がる。
 長門は、まだ涙の後が残る顔を俺から背けて黙っていた。
 ばつが悪そうに視線を反らす長門なんて、初めて見たな。
「長門……何でもいい、話してくれないか。仮の方法とか、状況とか」
 俺がそう呟くと、長門はびくりと肩を震わせた。
「長門」
 俺がもう一度呼びかけると、長門はその黒曜石のような瞳を俺に真っ直ぐ向けた。
「……情報統合思念体の方針は変わらないと思われる。わたしは失敗したが、そうなれば情報統合思念体はわたしを処分したのち、他のインターフェースに命じてあなたの抹殺を遂行する。止めることは出来ない。わたしはその時、世界にいないから」
 ああ、わかってるさ。お前が俺を殺さなくても、きっと他の奴がやって来るだろうってことくらいはな。
「逃げることは?」
 この程度のことは長門だって考えただろうが、話し続けることが重要だ。以外に簡単な方法ほど、長門は気付いていないかもしれないしな。
「……わたしは情報統合思念体と情報的に繋がっている。あなたの抹殺を失敗したことも、すぐに伝わる」
「もう伝わっているのか?」
「いまはまだ伝わっていない。この部室は完全な情報封鎖と空間封鎖を行っているから。けど、この空間から一歩外に出れば、すぐに伝わる。かといってこのまま時間が過ぎていけば、不審に思った情報統合思念体が、他のインターフェースをここに向かわせるはず。そうなれば情報封鎖が解かれ、抹殺の失敗が情報統合思念体に伝わる」
 まさに八方塞がりって奴か。
 くそ。
「何か、方法は無いのか? そうだ、例えば前やったみたいにハルヒの力を使って、世界を改変したり、とか」
「この空間内からでは無理。さっき言ったように完全な情報封鎖を行っているから。……仮に、凉宮ハルヒが傍にいれば世界の改変は可能」
「じゃあハルヒを捕獲して……」
 安直にそう思ったが、長門は首を振った。
「いくら情報制御や身体制御を駆使しても、ここからでは涼宮ハルヒの位置まで数分かかる。その間にわたしの裏切りが情報統合思念体に伝わってしまう」
 そういえば、ハルヒはいま学校にすらいないんだった。街の方に出掛けている分、余計に時間がかかっちまう。
「……何分なら大丈夫なんだ?」
「一分も無い。三十秒が、わたしが自由に行動出来る限界だと推測される」
 短すぎないか?
「以前わたしが暴走してから、情報統合思念体はわたしの行動を監視しているから」
 そうか、そういえば長門は前科持ちだったな。
「……なら、ハルヒの力を使って世界を『ハルヒが力を振るっている時期』に戻して、あいつが力を失わない方向に修正をかけるって、お前の親玉に言ってみたらどうだ?」
「……難しいと思う。すでに情報統合思念体は、あなたを抹殺して、凉宮ハルヒを動かす方法を取ることを決定した。わたしとは違って、あなたを生かす意味を情報統合思念体が今の状態で見出すとは思えない」
 お前が俺を殺さなかった理由って奴を訊きたい気もするが、それより今は現状への対処が先だな。
「……じゃあさ、長門。ハルヒをここに呼ぶってのはどうだ?」
 長門は首を傾げる。
「こっちから行くのが駄目なら、こっちに来て貰えばいいんじゃないか?あ、でも完全な情報封鎖とか行ってるんだっけ。携帯も繋がらないよな……」
「電波だけを通すようにすることは、何とか可能。でも……携帯だと、放たれた電波が他のインターフェースに察知される可能性がある」
「情報統合思念体には?」
「情報統合思念体は、『電波が飛んでいる』ことはわかっても、内容まではわからないと思う。情報統合思念体は人の細かい言葉の意味までは理解出来ないから。だからわたしたちのようなインターフェースが必要。どちらにしても、時間が勝負。他のインターフェースに何も無いところから電波だけが飛んでいることを察知されて、様子を見に来るまでに涼宮ハルヒがこちらにやって来るかどうかが、勝負」
「つまり、あいつに可能な限り全力でここに来させればいいんだな?」
「そう」
 何だ、それなら簡単じゃないか。
 こんなに簡単に解決していいのか?
 あいつが飛びつきそうな話題なら、いくらでも思いつく。
「そういうことなら簡単じゃないか。何でもいいから『不思議な物がある』って言えばあいつは飛んでくるだろ」
 俺がそう言って携帯を取り出した。
 電話帳を呼び出して、電話をかけようとした寸前に長門の手が俺の袖を掴んだ。
「ダメ。それでは凉宮ハルヒは来ない」
「何でだよ? 『不思議なことが起きた』って言えば……」
「忘れないで。現時点での凉宮ハルヒは、超常現象などに対する興味をすでに失っている」
 そう言われて俺は思い出した。
 もはや、一般のことでも満足出来るようになったハルヒの姿を。
 確かにあの様子では『部室で不思議なことが起こっている』といっても、飛びついては来ないだろう。
 最悪、『あら、そうなの? じゃあビデオに撮っといて。明日見るから』などと言うかもしれない。
 さすがは長門というべきか、俺が完全に忘れていたこともきちんと覚えていたらしい。
 くそ、本当に八方塞がりじゃねえか。
 長門が思いつかないようなアイデアなんて、咄嗟に思いつく筈が無い。
 とにかくハルヒをここに大急ぎで来させたら何とかなるかもしれないんだ。
 何か、無いか何か。
 ……俺か長門が『急病で倒れた』というのはどうだ。
 これなら、ハルヒも飛んでくる……いや、下手したら病院の方に向かうかもしれない。病院は麓の方にあるし、ここに着く前に病院に搬送されてしまうとあいつが考えて、病院の方に先回りして向かうかもしれない。
 そうなったらアウトだ。
 くそ、どうする。
 古泉に連絡して、ハルヒを強制拉致してもらうのはどうだ?
 それなら……いや、いくら古泉の機関とはいえ、即座に対応できるとは思えない。大体、ハルヒに余計な刺激を与えないのが、機関の方針だった筈だ。それに、古泉に事のあらましを説明している時間が惜しい。
 とにかく一番良いのは、ハルヒに直接電話してタクシーでも何でも使ってもらって、超特急でここに来て貰うことだ。
 かと言って馬鹿正直に『ここに来い』と言ったところでハルヒは本気にならないだろう。
 あいつにとにかく全力で来てもらうためには……。
 くそ、そんな都合のいい方法なんて、無い。
 長門はそう思っているのだろう。
 長門が思いつかないような方法……何か、無いか。
 俺が持ってる繋がりで一番強いのはやはり古泉の機関くらいしかない。
 やはり時間的にも、賭けだが古泉に連絡するしかないだろう。それでハルヒを強制的に拉致して貰うくらいしかない。
 こうして考えている間にも、どんどん時間は過ぎてしまうのだから。
 これ以上の『切り札』なんて俺には……
 その時、閃いた。




――――あるじゃねえか!




 しかし、これは俺の演技力次第の作戦だ。
 だけど、これ以上の策はもう無い。あったとしても考えている間が惜しい。
 俺は長門に作戦を簡単に説明して、携帯を操作した。




 電話先は、ハルヒ。










第七章に続く
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