『Tears of Humanoid・Interface』
第七章




 電話の呼び出し音が鳴っている。
 早く出やがれ、ハルヒ。
 俺はそう思いつつ、呼吸を落ち着けた。今からするのははっきり言って無謀なことだ。
 しかし、しくじるわけにはいかない。
 俺自身のために。
 そして何より、長門のために。
 暫く経って、ようやくハルヒの奴が電話に出た。
『もしもし? どしたのキョン?』
 さあ、ここからだ。ここからが正念場だ。
 俺は意識して落ち着いた声を出した。
「――よう。『涼宮ハルヒ』。相変わらず、元気にしてるみたいだな?」
 俺は頭の中で組み上げた会話を成立させるべく、『演技』する。
『は? 何言ってんの? 学校で会ったでしょうが?」
 俺は思わず笑いが漏れました、という風に笑って見せた。
 ……こんな時に何だが、俺も結構役者じみてるかもな。嘘臭いと、古泉のことは言えん気がする。
「わからないか。まあそうだろうな。俺もさっき会ってびっくりしたし」
『さっきから何言ってんのよ? 頭でもおかしくなったの? キョン」


――その言葉を待っていた。


「確かに似てるが、俺は『キョン』じゃないぞ? 『凉宮ハルヒ』」
 電話先のハルヒが訳がわからないという風に、狼狽する気配が伝わってくる。
『からかってんの? キョンじゃなかったら、誰だって言うのよ』
 引っ掛けてる俺が言うのも何だが、ここまで予想通りの反応をされるとかえって心配になるな。
 だが、今更止めるわけにもいかない。
 緊張で今にも走り出しそうな心臓を押さえ、平静を装って言う。
「三年くらい前の七夕の日には、初めて会ったっつーのにこき使ってくれてありがとよ。あの時、世の中にはこんなに自分本位な奴がいるもんだなと思ったが……まさかその女子が後輩として北高に入学してるとはな」
 電話先のハルヒが、息を呑むのがわかった。
『……え? あ、あんた……まさか……』
「思い出したか?」
 俺は会心の一言を放つ。




「俺は、ジョン・スミスだ。あの時、そう名乗ったな」




 そう。これが俺の切り札。
 ジョン・スミスの名前。
 思ったとおり、ハルヒは予想外のことに絶句している。
「お前の言うキョン、だったか? そいつに携帯を借りてかけてるんだが……全くびっくりだ。声がそっくりなんだからな。この部室にいた長門、さんだったか? その人もびっくりしてたぞ」
『え、じゃ、じゃあジョン、今学校にいるの……?』
「ああ。実はあの後、俺はすぐ引っ越しちまったんだ。今日は久しぶりにこっちに戻ってきたから、先生に顔見せに来たんだが……その先生がSOS団っていう同好会のことで頭を悩ませていてな。詳しく話を聴いたら、何だか変に覚えのあるようなことをしてる女子がその団長だっていうじゃないか。確かめに部室に来てみたらこの人らが居て、ちょっと話を聴いたらあの時手伝った女子が『涼宮ハルヒ』らしいってことがわかったんだ。間違いじゃなくて良かったよ」
 ハルヒが絶句している間に、嘘設定を早口で述べていく。
 ハルヒに主導権を与えてはダメだ。
 そうなればよくない方向に話が進むのは目に見えている。
『ちょっと待って……じゃあ、いま、部室にいる……の?』
「ああ。だけど俺はそろそろ帰らなくちゃいけない。お前に会えるかと思ったけど、残念だ」
 これも罠。
 こう言うことで、ハルヒはきっと。
『待ちなさい! あと何分待てる!?』
 よし。かかった。
「五分……くらいか。すまんがそれ以上は待てん。じゃあ」
 何かハルヒが言おうとした雰囲気がしたので、俺はさっさと携帯を切った。
 下手に会話を続けてぼろが出たら台無しだ。
 多分ハルヒはタクシーに飛び乗ってこちらに向かってくるだろう。
 その間に掛かってくる電話は、全て無視。
 いや、それにしても上手くいった。
 これでハルヒがここに来るまで他のインターフェースが来なければ大丈夫だろう。
 俺がふと視線を感じて隣を見ると、そこでは長門が俺を見詰めていた。
「…………」
 心無しか、その目が俺に賞賛を送っている気がして、照れくさくなった俺は頭を掻く。
「上手くいったぞ、長門。ハルヒはこちらに向かってきてるはずだ」
「…………そう」
 多少呆然としているような長門の声。
 俺自身、良く舌が回った物だと思う。
 古泉じゃあるまいし、あまりこういう策略を巡らせ、演じるのは得意じゃないんだけどな。
 本当に自分で自分のやったことが信じられない。やはりあれか。火事場の馬鹿力という奴か。
「長門。これで大丈夫だよな?」
 溜息と共に、俺は長門にそう問いかけた。長門はこくりと頷く。
「凉宮ハルヒがここに来るよりも早くに他のインターフェースが来なければ」
「情報封鎖と空間閉鎖だっけ? それがあったらハルヒもここに入れないんじゃないか?」
「問題ない。凉宮ハルヒが近くまで来れば、情報封鎖と空間閉鎖を解く。そうすればこちらから飛び出して、凉宮ハルヒに接近し、時空を改変することも可能。プログラムの構築に十五秒ほどかかるため、十五秒以内の距離。そこまで涼宮ハルヒが近づいてくれれば、大丈夫」
「そうか……良かった」
「まだ安心するのは早い。この学校にも何人かインターフェースは存在する。それらが涼宮ハルヒより早くここに来る可能性は零ではない」
 何か、いつもの長門って感じだな。
 さっきまで泣いていたなんて、嘘みたいだぜ。
 まあ、長門の泣き顔は確かに貴重だが? それでもそれはあまり覚えていたくない記憶だ。笑い過ぎてとか喜び過ぎてとかの涙なら大歓迎だが、悲しみとか苦しみの涙は見たくないだろ?
「ところで、仮にこのまま無事に済んだとして……どうやって改変するんだ?」
「それは簡単。涼宮ハルヒの力が弱まり始めた一ヶ月間に時間を戻し、涼宮ハルヒが力を失わない方向に誘導すればいい。具体的には、超常現象に興味を持つ方向に誘導する」
「……まあその辺りは長門に任せるよ。……時間が戻ったら記憶はどうなるんだ?」
「少なくとも涼宮ハルヒに関しては完全な消去を行う。僅かでも残滓が残っていれば、またこのような事態になる危険性が生じる」
「俺の記憶は?」
「……消去するのが望ましい。わたしの記憶も。他の全ての人間の記憶も」
 ああ、だろうな。
 つーことは、あの長門の泣き顔の記憶も消えちまうのか。
 なるべく覚えていなくはない記憶だったから、いいのか、な?
 何となく……複雑な気分だ。
 でも、長門が無くし難い存在であると気付いた記憶も消えちまうのか。そっちくらいは残しておきたいものだが、それだけ残しているってのも変な話だ。
 まあ、こんなことがあって初めて自覚したとはいえ、無自覚でもそう思っていたのだから、いつか自然と自覚する日が来るのだろう。その日が来るのかどうかはわからないが。
 俺はまだ俺の方を見ている長門の頭に手を置いた。
 何でだろうね。別に長門を妹みたいだとは思ってはいないはずだが、思わず手が出てしまった。
 柔らかい髪の感覚を掌に感じつつ、俺はゆっくりと長門の頭を撫でる。
 妹にするように乱暴ではなく、ある一つの気持ちを込めて。
 長門はされるがまま、無言の視線を俺に向けている。
 いや、何かコメントしてくれよ。
 俺の心の声が通じたのか、長門が口を開きかけた。


―――が、開きかけた口は閉じられ、扉の方を向く。


 ハルヒか。
 でもさすがに早すぎる。
 刹那、長門の目が見開かれた。
「これは――――」
 情報封鎖と空間閉鎖とやらを行っている筈の扉が、砕かれる。
 そこには見知らぬ男子生徒が立っていた。個性の無い顔だ。見たらすぐ忘れてしまいそうな。
 予想外の人物の登場に呆然とする俺の耳に、長門の声が響いた。
「この学校に待機していたヒューマノイド・インターフェース」
 僅かに、悔しそうに。




「涼宮ハルヒは間に合わなかった」







最終章に続く
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