「あたしは、二年前まである養護施設で働いていました。名前は『みらい』。そこであたしは保育士として、子供たちの世話をしていたの。けど、あの日……」
朝比奈さんは声を詰まらせた。
「涼宮さんと長門さんが『機関』に追われて『みらい』の隣にあった倉庫に逃げ込んできたの。『機関』は涼宮さん達を包囲するために、隣の『みらい』にも乗り込んできて……」
俺はそこから連想される嫌な展開を予想して、そうならなければいいと思った。
しかし。
「彼らは、寝ていた子供たちを――」
「ストップ朝比奈さん!!」
とっさにそう叫んだ。
それ以上話させてはいけないと思った。
朝比奈さんの顔は盛大に歪んでいて、いまにも何かが溢れ出しそうだった。
「いいです。話さなくて。大体わかりましたから。それで隣の異常に気づいたハルヒ達が『みらい』に入って、あなたを救出したんですね?」
朝比奈さんは一つ深呼吸。話さずに済んで安心しているように見えた。
「ええ……そう。それからあたしはSOS団と一緒に行動することになったの。キョンくんと大体一緒ね」
なるほど……俺とは入団した経緯のシリアス度が全然違うと思うがそんなことはどうでもいい。
そういうことか。似合わない朝比奈さんがSOS団にいる理由。確かにそれなら納得がいく。
しかし『機関』って奴はなんて残虐非道なんだ。ハルヒや長門を始末するためにそこまでするか?
それにしても。
「朝比奈さんは……ハルヒを恨んでいないんですか?」
いくら不可抗力でも、言ってしまえば『みらい』を巻き込んだのは隣の倉庫に逃げこんできたハルヒだ。
俺だってこんな命をかけて駆けまわるような非日常に巻き込んだハルヒのことを多少なりとも恨む気持ちはある。
朝比奈さんのような理由なら、なおさら恨んでしまうんじゃないだろうか?
俺の問いに対し、朝比奈さんはどこか困ったような、中途半端な笑顔を浮かべた。
そして。
「恨んでいます」
はっきりとした声で、そう言った。
「でも、本当に恨むべきは『機関』の方ですから。彼女を恨んでも仕方ないし、助けられたことも事実だし」
その答えを聞いた時、この人は弱々しい外見に反して、とても強い人だと確信した。
なるほどな……この人がSOS団にいる理由はよくわかった。
朝比奈さんはそこでおかしそうに笑った。
「ん? どうしたんですか?」
理由がわからずそう訊く。
「ううん。ちょっと思い出しちゃって。涼宮さんってね、あたしがあまり思い詰めないように、ここに来てから色々考えてくれたの。お茶を集めてみたらどうかって言いだしのも涼宮さん。鶴屋さんが時々こういう変な服を持ってくるのも、涼宮さんに言われてのことなの」
朝比奈さんは言いながら着ているウェイトレスの制服の裾を摘まんで見せる。
あの超絶マイペース女がそこまで人のことを考えて気遣い、行動するとは……俺とはえらい違いだな。
なんというか、ハルヒの俺に対する扱いは微妙に酷くないか?
最初の説明といい、まあ、他いろいろ……。
「それはきっと、なんとなく、キョンが受け入れてくれそうだったからじゃないかな。自分の思うままに行動しても、なんだかキョンくんなら受け入れてくれそうっていうか……そんな感じがするもの」
なんか……それって体よく扱われているだけのような……。
俺が微妙に落ち込んでいると、言い方が悪かったと気づいたのか、朝比奈さんが慌てる気配がした。
「えっと、その、キョンくんは優しいってことですよ?」
「ええ……どうもありがとうございます」
複雑な気持ちで、そう答えた。
朝比奈さんはちょっと焦った手つきで、お茶のポットを示す。
「あ、ごめんなさい。いまお茶、いれますね」
……いただきます。
話を聞いた後で呑んだお茶は、相変わらず美味しかったが……どこか、苦かった。
休憩室で少し体を休めた後。
ちょっと気分を変えようと屋上に行ってみると、そこにはすでに先客がいた。
その先客は屋上の出入り口のすぐ脇の壁に背中を預け、どこか遠くを見ている。
「古泉」
呼びかけるとその先客――古泉は俺の方を見て、いつものゼロ円スマイルを向けてきた。
「どうも」
ドアを閉め、古泉の隣の壁にもたれかかる。
「お前も気分転換か?」
「ええ」
古泉が見ている方向に目を向けると、夜の闇が広がっているだけで何も見えなかった。
まあ、この倉庫街自体、結構人里離れた場所にあるからな。
「……先ほどは休憩室で朝比奈さんとお楽しみだったようですね」
その意味深な言い方に思わず吹いた。
変な言い方するんじゃねえよ。っていうか、なんで知ってやがる。
「これは失礼。先ほど休憩室で休もうと思って行ってみましたら、あなたと朝比奈さんが話している声が聞こえてしまいましたので。真剣な話をなさっていたようですので、休憩室に入るのは諦めてここに来たんですよ」
それは気遣いありがとよ。
「いえいえ。それにしても……珍しいですね。朝比奈さんがあの話を進んでするなんて」
……長門に話を聞いたあと、ハルヒも同じようなことを言ってたな。
たまたま、気が向いたんじゃないのか?
「ええ、その可能性もありますが……朝比奈さんの言う通り、あなたにはどこか不思議な雰囲気がある……それが話を引き出させるのかもしれませんね」
不思議な雰囲気って……俺は唯の一般人だぞ?
そんな特殊能力、持ってないハズだが。
「逆の発想も出来ますよ。一般人だからこそ、特殊な環境下にある我々はその特殊な境遇を話せる、という……」
なんだそれ。どんな作用だよ。
「同じように特殊な境遇にいるものにはそうそう自分の境遇は話せませんよ。どんな風に利用されるかわかったものじゃありませんし」
その理屈はいまいちよくわからんな。
俺がそう言うと、古泉は苦笑した。
「まあ、あなたはそのままでいいと思いますよ。そうだからこそ話しやすいんでしょうし」
なんか納得しにくいが、まあ気にしないことにしよう。色んなことをあまり気にしすぎるとここではやってられない。
古泉は意味深な笑顔で俺を見た。
「あなたは本来イレギュラーな存在である筈なのに……面白いですね。僅かな期間で団員達の深い事情を知るに至っている。興味深い現象です」
お前は研究者にでもなればいい。たぶん、向いてるぞ。
何気なく言ったセリフだったが、古泉は一瞬だけ虚を突かれたような顔をした。
すぐに表情は元に戻ったが……なんなんだ?
「ふふ……向いて、いますか?」
何だ変な笑い方をしやがって。
気味悪く思い、思わず一歩後退すると、古泉はさらに笑った。
「いえ、中々的を得た発言ですよ、それは」
そして――言ったのだった。
「僕は元々『機関』で研究員兼戦闘員として働いていましたから」
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